文殊菩薩と南朝

南朝側の真言立川流の僧・文観は、
『三尊合行秘次第』(1338年頃)で、
如意宝珠を中心に左不動明王と愛染明王を
左右に配した三尊を本尊として祀るとします。

不動明王と愛染明王を同時に祀るのは、
文観から後醍醐天皇への流れがあった事は、
既に有名で私もブログに書きましたが、
更に掘り下げられる領域が存在する事が、
ここから理解できますね。

文観と立川流は邪悪なレッテルを貼られ、
その真実の姿が隠されましたが、
こう言った所にも解明できる要素を
見つける事が出来そうです。

文観は殊音の名でも呼ばれますが、
どちらも文殊と観音の文字が入り、
文観の師匠の叡尊が特に信仰した仏が
文殊菩薩であったとされています。

文殊菩薩が持つ意のままに願を叶える
如意宝珠(にょいほうじゅ)が、
三尊合行秘次第に登場する宝珠なら、
三尊の中心に文殊がいる事になりそうです。

ダキニ天系稲荷に火焔宝珠(かえんほうじゅ)があり、
ダキニは文殊菩薩と同一視される事もありますね。

文殊菩薩は摩利支天(まりしてん)と同体とされ、
楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を隠し持ち、
南朝と文殊菩薩との関係は深かった様です。

この文殊菩薩の深層は岩戸開きの本に
既に書いてはおいたのですが、
ブログで書くのが難しい部分があり、
どうするか苦慮している最中ですね。

南朝が先住民族の復興王朝であったなら、
徐福に由来する信仰を復興させた事を
理解するのに難しい事はありませんが、
逆に南朝の研究から徐福王朝の姿を
解明する事も可能となるでしょう。

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