金神と飽海遺跡

私も一応は歴史研究をする上で、
漢文ばかりの原典にあたったりと
地道な事もしているのですが、
こう言う所から面白い発見が
出て来る事が結構あります。

鎌倉幕府のイデオロギーとなった
伊勢神道の文献を紐解いていくと、
金神が登場している事が分かります。

鎌倉と言えば平安中期の安倍晴明、
その後の源平合戦を超えた時代で、
ここに金神がどう関わっているかで
解釈が大きく変わって来そうです。

この金神が艮の金神を意味するかは
断定しえない部分がありますが、
安倍晴明の陰陽道に直結している
赤山禅院にも金神が祀られており、
陰陽道と金神の関係が伺えます。

なぜかここは天台密教の祖・円仁と
密接に関わっている場所なので、
私の円仁研究から推察していくと、
一筋縄ではいかない問題が出ます。

安倍晴明の陰陽道では艮の金神が
最悪の祟り神とされていますが、
この段階で疑問が浮上しますね。

赤山禅院の猿の像が持っている鈴は
花祭で用いられる独特な形状で、
花祭と金神が関わる可能性すらも
浮上して来る事になりますね。

既存の艮の金神に纏わる話では、
この周辺が語られる事すらも
殆ど無かった気がしますが、
この状態で取り零しが無いと
言えるのかに疑問があります。

しかし伊勢神道では元伊勢が
私の研究している場所とは
違う所が明示されており、
この周辺を探っていくと、
江戸初期に伊勢神道すらも
すげ替えられた可能性が、
浮上して来る事になります。

鎌倉幕府や南朝で艮の金神が
重視された事は確認しており、
現代で語られてる艮の金神が
この系統の艮の金神であるかは、
微妙な問題が含まれています。

そして頼朝や南朝が東三河と
密接な関係を有していたなら、
飽海遺跡にもこの艮の金神が
関わっていた可能性すらも、
浮上して来る事になりますね。

私個人の疑問を解消するための
私的研究であれば既に十分で、
ここから社会的責任を背負って
表に出すための執筆をすると、
時間と労力と金が要ります。

タダで読むだけで問題を訴えても
何もしない人ばかりであれば
全く出す必要の無い話になり、
飽海遺跡の一件だけを見ても、
スルー率はかなりのものでした。

大本教などの情報は拡散しても
飽海遺跡の話をスルーしたなら、
論語読みの論語知らずを超えた
遥かに厄介で危険な領域にまでも
足を踏み込んでいないでしょうか。

赤山禅院に行き金神を参拝すると
高貴な雰囲気が漂っていましたが、
責任の領域に甘い存在であったかは
何とも言えない感じはしますね。

この神がなぜ悪神とされた上で
復権させられたかに関しては、
どこまで書いて良いか分からない
扱い辛い問題が存在しています。

古史古伝は何でも言いたい放題で、
裏が取れないからと無責任な話が
垂れ流しされている世界ですが、
飽海遺跡の問題を無視した時点で、
かなり無責任な部類に入ります。

艮の金神を云々言っていても、
問題を持って来られた時の
対応が余りにも未熟すぎて、
大丈夫かと思う事もあります。

この程度の状態で語られる神なら、
大した事の無い偽物ではないかと
思われる節もあったりもしますが、
凄い神を持ち出しさえすれば、
自分が特別な存在になった気に
なれてしまうのも問題でしょう。

まさしく虎の威を借る狐になれば
狐に失礼と言うものでしょうが、
稲荷も余りに酷く言われており、
これすらも私が研究を出したのに
スルーされる事が多いですね。

一応は触れた上で個人的見解を
述べる事は十分に可能ですが、
飽海遺跡の話を出した上で
私を批判するならまだしも、
裏で批判だけも良くあります。

責任問題を誤魔化すために
報道しない自由を持ち出せば
マスゴミと同じレベルですが、
これで神を語っているなら、
後に暴露の流れが出て来て
神を鬼扱いする事になっても、
自業自得と言えそうです。

神を出汁にした商売であれば
姿勢に問題がありますが、
姿勢にはその人の格が現れ、
武術も姿勢こそが基本であり、
至誠は天に通じるとされます。

責任を誤魔化せば誠とは言えず、
ここが崩れていれば語る以前に
基礎からやり直しとなりますが、
公道を走れば責任が伴うので、
本気で考えて頂きたい問題です。

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