林氏墓地

林羅山の墓は十一月の初旬だけ
直接見る事が可能となっており、
この機会は逃せないと思って
日帰りで東京に強行しました。

こう言う事ばかりしているから
経費がカツカツなんでしょうが、
やはり実際に墓参りをすると
魂に触れられる感じがするので、
本で読むのと印象が変わる事も
結構あったりしますね。

その前に湯島聖堂にも行ったら、
何とこの日は中に入れたので、
普段は見れない物が見れました。

ただ中にある孔子像などは
後から復元された物らしく、
朱子学なのに朱子の像は
見当たらなかったですね。

色々と話しを聞きましたが、
ここで復元されているのは
本来の湯島聖堂の物ではなく、
後世に作られた本来と異なる
イメージの産物かも知れません。

羅山の墓の写真を撮れるかを
係の男の人に聞きましたが、
横でイエーイをしている写真を
撮って頂けるかを聞いたら、
流石に許可されませんでした。

聞いたら白い目で見られたので
もう少しはキレのある反応が
欲しかったところですが、
遺影でイエーイは気温的にも、
寒すぎる季節になって来ました。

半分は冗談でも半分はジャブで、
林羅山のイメージが悪い事に対する
様々な背景を研究しているので、
羅山が堅物では無かった可能性も
ゼロでは無いと考えています。

儒教と言うとアレなイメージが
蔓延している感じがしますが、
いわゆる江戸の封建主義とは、
羅山派ではない派閥の儒教が
広めた物のイメージの様です。

江戸総鎮守の神田明神ですらも
ラブライブの聖地になっており、
江戸の粋な文化の隆盛を考えると、
羅山の文化的影響が気になります。

神田明神ならイエーイをしても
笑って酒のつまみにしそうな
解放感があったとは思いますが、
ここも江戸中期以前に手が入り、
色々やられた感じがしましたね。

学芸員と思しき方が見学者に
説明していたので終わってから
私の研究の概略を話しましたが、
結構当たっていそうな反応です。

林羅山は江戸幕府創立当初の
イメージが形成される段階で、
大きな陰を落としています。

彼のせいで徳川家が悪逆無道な
豊臣を滅ぼす行為に出たとされ、
羅山の評価も地に落ちています。

しかし私は羅山を悪者に仕立てた
勢力の存在を想定しているので、
汚名を晴らしたいと思っています。

羅山の墓に色々な話をしたら
雰囲気が変わった気がしまたが、
雰囲気が明るくなった感じがし、
写真の感じはどうでしょうか。

 

羅山は朱子学と言われますが、
神道にも深い影響を及ぼし、
神道の記述を残しているのに、
殆ど知られてはいません。

この背景に何があったのかを
探っていくと大変な事になり、
明治維新を超えて現代にまで
影響を与え続ける問題である
可能性すら浮上して来ます。

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