羅山による儒教の解放

慶長八年(1603)に江戸幕府が開かれた時、
21歳の羅山が儒学の公開講義を行いました。

学問は門外不出の秘伝とされており、
朝廷の許しを得た上で特別な人に
広義をしてよいとされる時代に、
風穴を開けたのが羅山とされます。

明経博士の清原秀賢はこれを聞き
激怒して朝廷に告訴したとされ、
征夷大将軍となった徳川家康も
これを聞く事となったそうです。

家康は笑いながら何の問題も無く
好きにさせておくよう語った事で、
羅山の告訴は取り止めとなります。

犯罪者とされるリスクを超えて
学問を成立に広めた羅山には
もっと評価があって良いのに、
現代まで余りにも一方的に
酷評されたのはどうでしょう。

秘伝とされた儒教も解放され
一般人でも学べる時代なのに、
儒教のイメージは余りに酷く、
非常に勿体ない話です。

ここに翻訳の悪さだけでなく、
孔子の悪いイメージの流布や
国学派の儒教解釈などの、
様々な要因が関わりますね。

世界的にも高い識字率と
高度な教養を誇った江戸は
羅山抜きでは語れません。

彼の汚名と江戸の評価には
相通じる問題があるので、
彼の復権は日本の国力の
底上げにも繋がりそうです。

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