江戸の身分意識の継承

江戸時代の士農工商に象徴される
身分意識が明治以降も継承され、
官尊民卑・官僚主導の市民社会が
築かれたとする見方があり、
その結果がどうなったかについて
以下の様な説が挙げられています。

・自分達が主権者であるという意識を持てず、
武士の後裔の官僚に政治や経済の運営を委ね、
彼らの支配に服従してきた

・政府や地方自治体が国民に公的情報を
公開することに不熱心だった

・西洋諸国のような政策を争う
政党政治を実現できなかった

・西洋諸国のように労使が
階級として対立するのでなく
反対に労使が密着をして、
消費者主権の発揮を妨げてきた

・多くの国民が同じ日本人である
一部の国民(被差別部落の人々)を
不当に差別し続けてきた

士農工商の身分意識だけに止まらず、
官尊民卑・官僚支配や部落差別すらも
封建遺制と捉えられる事がありますが、
今日でも類似した現象が続いています。

この根底にあるの江戸時代以降の
儒教思想とされる事がありますが、
江戸時代の儒教には大きく分けて
二系統が存在していました。

そして問題なのが現代社会にまで
悪影響を及ぼし続けている儒教が
林羅山系の儒教では全くなく、
もう一系統の儒教であった事です。

江戸時代の農民と職人と商人の間に、
身分の上下関係の階層が存在して
いなかったとする説があります。

江戸時代の幕府と諸藩には、
農工商の身分序列を明示した
法令が発見されてはおらず、
農民や町人の中には武士並みの
苗字帯刀を許された者が出ます。

江戸時代の儒教は神道とも繋がり、
これが現代の神道思想にまでも
悪影響を及ぼし続けていますが、
現代で神道を語る多くの人物が
この悪影響を引きずっており、
無意識なのが更に厄介な話です。

そしてこの神道思想は天皇論と
密接に関わっている事もあり、
これらの問題と天皇論の関係に
どれだけメスが入ったでしょう。

未だこの問題の精算が終わったと
全くもって言えない状況ですが、
扱う人すら殆ど見当たりません。

全肯定も全否定も似た者同士で、
決めつけて検討しないのであれば、
智恵ありと言えるでしょうか。

スピリチュアル界隈ですら、
オウムテロの後は全否定され
最近は鵜呑みにされる傾向が
見受けられる印象があります。

天皇論も戦前戦後で大きく変わり、
神道も国家神道から脱却して
穏健な信仰となってはいますが、
その根は未だ怪しい感があります。

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