今中寛司氏は林羅山の政治論の中に
儒家の徳治主義と法家の法治主義が
混在すると言いっている様ですね。
源了圓氏は林羅山の思想の中には、
朱子学と六韜・三略の思想が混在し、
前田勉氏は羅山が挫折経験を経て
兵家の思想も採り入れたとします。
しかし『巵言抄』を検討すると
これらの説との整合性が取れず、
多くの研究課題が残されています。
林羅山は後世に徹底的に批判され、
ここまで悪く言われる人であれば
何かしらの勢力にとって都合の悪い
歴史が存在した可能性が高いので、
彼に関する資料がどこから出たか
背景の洗い直しが必要となります。
政治的な目的達成のためには
冷酷な手段を用いる羅山像を
捏造したい勢力があったのなら、
推理小説的に言えばその犯罪で
最も得をするのが犯人ですね。
羅山が幕府に近しい人物であり、
彼の神道観を元に幕府の経営が
なされたとするのであれば、
羅山を落とす事で江戸幕府の
運営すらも酷く言えます。
まあ神道は政治運営と言うよりも、
政治への根幹的な姿勢に関わる
領域への言及が多く見られるので、
実地運営は儒教が強い事もあり、
双方見る事が必要となって来ます。