羅山は、『神道伝授』三十五「神之理」で、
神ハ形ナシトイヘドモ。気ナス故也。一気ノ萌ザル時モ、萌シテ後モ、此理本ヨリ有テ、音モニホイモナシ。始モナク終リモナシ。キヲ生、神ヲ生ズルイハレハ即是理也。真実ニシテアラユル事ノ根源也。
気と言うと道教の専売特許の様に
思われている所がありますが、
羅山が悪者にされていなければ、
最近のスピリチュアル界隈も
違った動きなっていたでしょう。
気だけでなく神や理も含めた
総合的な概念が広まっていて、
気を生じる根元とされる理が
重視されるのが分かるでしょう。
こうなると理=理論ではなく、
ロゴス的な意味で用いられた
神道概念が存在していた事を、
伺う事が出来そうですね。
気ばかりを重視していては
根元となる理が疎かになり、
儒教の基礎が理を究明する
格物にあるとされるのも、
解釈が変わって来そうです。
『文集』巻六十九においては、
国常立尊一曰天御中主尊、古人ロ訣云、八百万神即一神一神即八百万神。今按万物生自五行、五行即一陰陽也。陰陽即太極也。太極本是無極也。於是此尊之奥義可以見矣。何煩引盤古而当之。
と内在神=人身の神を天地の神と同類とし、
ここで外宮の神である天御名主尊こそが
国常立尊として明示されているので、
国常立尊=艮の金神であったとすれば、
羅山の神道の根幹が艮の金神となります。
『伝授』六十六で神について、
人ノミニテハ命也、魂也。……此根有故ニ人モ生、物モ生
と宇宙・万物の生成の根拠である神が
人の内に生成の根拠として存在すると、
内在の神について語っています。
林羅山が伊勢神道の流れを汲む
吉田神道と関わりがあったなら、
彼の神道こそが鬼道=伊勢神道の
正伝を継ぐ物であった可能性が、
ここに浮上して来る事になります。