神道の一神教化

江戸幕府に至るまでの流れでは
織田信長や豊臣秀吉の働きを
度外視する事は出来ませんが、
『信長公記』や『太閤軍記』に
一神教の影響が見受けられます。

著者とされる太田牛一ですが、
織田信長の次に豊臣秀吉仕え、
秀吉の死後はその子秀頼に
仕えた武人た武人とされます。

上記の二著には独特な神概念があり、
厳しく人間の行為の善悪に相応した
報いを与える天道の概念が見えます。

譜代相伝の主君を奉、弑其因果忽歴然にて
七日目と申に各討死、天道恐敷事共也
(『信長公記』巻首)

無筋目御謀叛思食たち……ケ様に浅猿敷無下無下と御果
……御自滅と申ながら天道恐敷次第也
(『信長公記』巻首)

無節目御謀叛思食たち……ケ様に浅猿敷無下無下と御果
……御自滅と申ながら天道恐敷次第也
(『信長公記』巻首)

恐ろしき天道の罰が外道に下った記述が見えますが、

御憐み深くおはしまし、故なく人々を
誅させられたるためし、これなし。
かやうの道理をもって威を天にふるひ、
天道の御冥加にかなひましまして、
御威光をたちまち天よりあらはし、みせ給ふ也

としますが天道が人を賞した記述は
罰した事例より遥かに少ないので、
脅しの方が強い印象を与えますね。

北条氏の政治への批判もしており、

正理をそむくのゆへに、天の冥加つきはてて、
むげにあひ果て、天道おそろしき事

とするだけでなく明智光秀・木村常陸守・
三好実休・松永弾正・斎藤道三・同義竜など
天道の罰を受けた人物を挙げています。

私の記事を読んできた方であれば、
北条氏や織田信長がマトモだった
研究に目を通しているでしょう。

牛一は天道を人間に道徳的行為を要求し、
行為の善悪に相応した厳しい賞罰を与え
道徳的秩序をもたらす働きをする以上に、
明確な意志と働きを持つ人格的な存在と
認識されているのが大問題でしょう。

天道こそが神仏にも増して重要であり、
人間は天道の意志と働きを重視し従う
信仰をする事が重要とするのは、
儒教における天道とは大きく異なり
聖書の神を強く思わせて来ます。

であれば江戸幕府に至るまでの歴史を
一神教勢力が改竄したであろう事は、
容易に想像が出来る話しでしょう。

この神概念が江戸の神道においても
継承され発展してきた経緯があり、
林羅山の神道とは別系統の神道が、
神道の皮を被った一神教であった
可能性が非常に強くなって来ます。

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