江戸幕府の政治思想

羅山の『神道伝授』で幕府の神道観を
伺う事が出来るとするのであれば、
ここを見ずして江戸の政祭を語るのは
ナンセンスとなりかねないでしょう。

しかし羅山の人格が低俗な物と非難され、
彼が詳しく語られるよりも国学の方が
露出度が高かったのではないでしょうか。

しかし国学のみを見ているだけでは
政治思想の変遷を辿る事は出来ず、
江戸幕府への間違ったイメージが
流布する事になりかねません。

一 神道伝授
神ハ天地之霊也。
心ハ神明之舎也。舍ハ家也。タトへバ此身ハ家ノゴトク、心ハ主人ノ如ク、神、主人ノタマシヰ也。
形有ホドノ万物ハキユル事有。神ハ形ナシ。目ニ見エヌ処ニ満々テ天地ニ亙リテイツモアル也。
善ヲスレバ我ガ心ノ神ニ随フ故ニ天道ニ叶フ。悪ヲスレバ我心神ニ背ク故ニ罪ヲウク。諸神ト人ノ心ノ神ト本ヨリ同理成故也。一心ノ清ハ神ノマシ(マ)ス故也。鏡ノ青ク明ナルガ如シ。弥清クスル故ニ鏡ノ中ノニゴリノカヲノケテカミト申也。

六 神道人道一理
民ハ神ノ主也。民トハ人間ノ事也。人有テコソ神ヲアガムレ、モシ人ナクバ誰カ神ヲアガムル。然バ民ヲ治世ハ神ヲウヤマフ本也。神徳ニヨレバ人モ運命ヲマスベシ。人間ハ昼ノ如シ。神道ハ夜ノ如シ。昼夜不同ハアレドモ其理ハ不同ナシ。生死ノ道モ又船如此。生ヲバ今日ニタトへ今年ニタトフ。死ヲバ昨日ニタトへ去年ニタトフ。生道ヲ能知レバ、死道モ能シルガ如ク。人間ノ理ヲ能知レバ神道モ自知ベシ。神ヲバ敬遠カリテ不可汚。民道義ニ宣ク叶フ。先専行上ハ即神慮ニ通ズルナリ。

十八 神道奥儀
理当心地神道、此神道即王道也。心ノ外ニ別ノ神ナク別ノ理ナシ。心清イ明ナルハ神ノ光也。行跡正ハ神ノ姿也。政行ルゝハ神ノ徳也。国治ハ神力也。是ハ天照大神ヨリ相伝マシキ。神武以来代々帝王御一人シロシメス事也。御幼少時ハ左右大臣、摂政関白抔伝授シ奉事也。近代ハ此道知人抔ナラズト云。
ト祝随役神道、是ハ不可、社家禰宜神主祝部輩、祭礼神事時ノ社内ヲ掃除シ、或ハ祓祝詞宣命ナド読上ル事ノ役人也。然帝王御一人シロシメス神道ヲバ輒ク窺ガタシ。故ニ理当心地ノ神道外ハ何モ皆神ノ事也、役者也ト可知。

神の道と人の道が一理とされており、
人がいなければ神は崇められず、
民こそ神祭りの本とされています。

ここには神を人の絶対上位として
従属を強要する思想は存在せず、
儒教の『春秋左氏伝』にも共通の
会話が残されているのですが、
神道と人道を陰陽関係で示すのは、
いかにも儒教的ではありますね。

神や理は心の外には無いとし、
魂を磨いた輝きが神の光であり、
内なる神と外なる神の関係が
政祭において重視されます。

これは一神教のように従属的な
信仰を強要する物とは異なる、
魂を磨いた神に通じる為政者が
国を統治する思想が江戸幕府に
存在した事が伺えますね。

しかし現在も我々が持っている
江戸幕府へのイメージからは、
想像出来ない感じを受けます。

明治維新以降に天皇が唯一絶対の
神的な存在とされましたが、
江戸幕府の神道観と比較して、
かなりの差が存在する事を
感じられはしないでしょうか。

人道が昼で神道が夜であり、
生死を越えた大道を元にした
政治運営を語るのであれば、
アショーカ王の政治思想と
変わる所はありませんね。

しかし羅山の神道説は無視され、
国学派に死後の世界の問題は
出雲のみと絡められてしまい、
現代の我々の知る神道概念に
強い影響を及ぼしています。

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