闇斎が記した『中臣祓風水草』『神代卷風葉集』には
当時入手可能であった多くの神道関連書が引用され、
伊勢・吉田系の口伝があるとした指摘も多いそうです。
江戸では多くの諸道・諸芸で秘伝・口伝が行われ、
吉田家の血脈相承・唯授一人の秘伝とされていた
『中臣祓』に関する「四重奥義」の口伝は、
非血縁者の吉川惟足が吉田(荻原)兼従から
授けられたものであったとされています。
定来の慣習では吉川惟足が次の吉田家当主に
「返(かえし)伝授」を行う事によって
秘伝が継承される事になるはずだったのが、
惟足が吉田兼敬に行った「返伝授」では、
三重の伝授までしか行われなかったそうです。
この話の流れが主張するのは吉川神道が
吉田神道を継承したと言うだけでなく、
吉川惟足が吉田神道に奥義を途絶えさせ、
権威を奪ったと言う事なのでしょう。
これは吉川惟足が決断した事とされますが、
保科正之・闇斎・正之の家臣の友松氏興・
服部安休との話し合いが闇斎の主導により
行われたと言う説もあるようですね。
本来の伊勢神道とは異なる後期伊勢神道に
闇斎が関わっていたとするのであれば、
伊勢神道を継いだ吉田神道を潰す計画に
闇斎が関わっていても不思議はなく、
本来の神道が潰されていった可能性を
ここに見る事が出来るのでしょう。
闇斎は伊勢・吉田、忌部などの
神道各派の口伝を精力的に収集し、
闇斎の神道論は中世の集大成と
指摘されているそうなのですが、
いかがわしい口伝も持ち込み
教義の根幹に据えたとして、
後に牽強付会と非難されます。
忌部神道で秘伝とされた八箇祝詞が
闇斎の神道論で用いられましたが、
現在では偽作とされているので、
吉川惟足が吉田神道の秘伝を受け
吉田神道を蹴落とした伝承すらも、
捏造の可能性はありそうです。
京都の吉田神社が途中で侵略された
痕跡は前に記事に書きましたが、
鬼道を継承したはずの吉田神社は
悪鬼を祓う側の祭を行います。
偽の神道を広めた勢力の存在が
浮かび上がって来そうですが、
広域で長期的で神秘主義的なら、
秘密結社的な雰囲気がしますね。