闇斎と火の祭

山崎闇斎の家では火焚祭(ひたきさい)が
行われていたという話が残されていますが、
『闇斎先生行状図解』は毎年一一月二二日に
赤互飯・醴酒・蜜柑を神に捧げる儀式を行い、
集まった門人達にも供物が配られたとします。

門人達も闇斎没後に先師の火焚祭と称し、
それぞれに継承したと書かれてますが、
火焚祭は現在でも京都の多くの神社で
継承されている祭とされていますね。

火焚祭は闇斎が始めたか前からの継承か
明確ではないとされているだけでなく、
具体的内容の詳しい資料は残っていません。

現在は神事の後に『大祓詞』を唱えつつ
「火焚串」(護摩木)を火床にくべる
儀式を行っているとされている事から
山伏の護摩供養が元と考えられており、
参拝者に蜜柑や赤豆飯を配った事も
護摩供養に似ているとされます。

門人たちが火焚祭を先師の火焚祭と呼び
継承していたとされているそうなので、
闇斎が若い頃から信仰して実行した
祭であった可能性もあるとされますが、
色々と問題も含まれています。

『闇斎先生行状図解』は細野要斎編とされ、
細野要斎は江戸後期に垂加神道を学んで
幕末の勤皇運動に影響を与えたとされ、
そちら側に都合の良い歴史の改竄を行う
可能性の高い場所にいた人物の記述です。

闇斎の家系で重視されたこの火祭が
拝火教であるゾロアスター教の祭で
それが後に隠蔽されたのであれば、
平家=ペルシャ王権の祭となります。

となると私の日本のDS=平家残党説を
裏付ける根拠となり得る可能性のある
情報の一つに挙げられて来ますね。

秋葉山の秋葉神社に伝わっている
火祭がゾロアスター系と言う話は
地元の歴史家から聞きましたが、
別系統の勢力が継承してきた祭の
可能性もあるのが面倒な所です。

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