豊橋と長髄彦

郷土史の関係で動いていると、
地元の研究者の方達とも知り合う事があり、
資料を渡して頂く事もあります。

既に三遠式銅鐸の本は書き上げたのですが、
コロナの影響で出すのに時間がかかっていますが、
この本には神武天皇が東征する時、
最大の敵として立ちはだかった
長髄彦(ナガスネヒコ)についても
記しています。

銅鐸の研究で三遠と長髄彦の関係を
ある程度は書いたのですが、
郷土史の本を出している方と
電話でお話させて頂いた内容で、
更に豊橋と長髄彦が関係している可能性が
濃厚になってきました。

個人的な研究では長髄彦は個人名ではなく、
暗号である可能性があると思っています。

神武天皇の伝承もモデルが複数あり、
神武東征のルートがモーセのシナイ半島侵略ルートと
ほぼ同じ経路を辿っているとする説は有名で、
それ以外にも色々な要素が入っていると思います。

今度、湖西市に行く機会があれば
本を借りてこようと思っていますが、
ただの田舎だと思っていたところが
古代史上の重要な地域だった事が
少しづつ分かってくる感覚は、
スリリングなものがありますね。

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