武蔵野の英雄

個人的に郷土史研究家として活動しているので、
地元と関係無い研究は余り触れて来ませんでしたが、
他の地域との関係性を出し相乗効果を狙うのが良さそうなので
関東の研究にも積極的に触れていこうと思います。

『平将門の深層』と言う本は書いているのですが、
古代の武蔵野の地に関東王国があったと言う研究は
以前テレビでも放映されていました。

毛野の古墳から壮大な出土品が出ましたが、
三遠から北関東に古墳が伝播しているので
三遠の古代王朝と武蔵野が関係していたようです。

稲荷山古墳から出土した鉄剣に彫られた「其鬼宮」は
雄略天皇のシキミヤとする説が一般的ですが、
普通に三遠で行われていた卑弥呼の使った
鬼道を行っていた宮の可能性があると思っています。

花祭の原型となった鬼の登場する祭祀が
北関東でも行われていた可能性はゼロではないでしょう。
九鬼文書に記された宇志採羅根神(うしとらこんしん)は
古代日本の広域に渡り祭祀されてきたのでしょうか。

中国の文献に倭の五王が登場し、
倭王・武が朝鮮半島の軍事権の交渉をしますが、
この武がヤマトタケル=雄略天皇である説を
目にした事がないのが不思議です。

平将門は中央の圧政から民を守り
汚名を着せられた可能性を本に書きましたが、
古代王朝の亡霊が甦る恐怖を感じたのか
徹底的に弾圧されています。
関東より東は鬼門扱いされてきましたが、
鬼の祭祀を行う民族への恐怖は強かったのでしょう。

斬られた首が京都から飛んでいくという
突っ込みどころだらけの伝承が信じられていますが、
掛川には将門公はじめ配下の首を祀ったとされる
十九首塚が存在しています。

この近くには二宮尊徳の作った
大日本報徳社の本部がありますが、
何かしらの関係が存在しているのでしょうか。

この十九首塚は遠州の東なので、
三遠の東端に位置している事になります。
ここでも三遠の古代王朝との接点が見えますが、
遺体を毛野よりも三遠の地に関係させるのを
恐怖していたのでしょうか。

民のために命を張った英雄であるからこそ、
実情を知っていた武蔵野の民たちは
現代に至るまで首塚に参拝を続けてきたのでしょうか。

江戸の守護神ともされた英雄は明治以降に悪霊として
小説などの題材で取り上げられてきましたが、
関東の今後のためにも英雄を怨霊扱いし続けるのは
良い影響があるとは思えません。

大手町の首塚に参拝の行く方達であれば、
一度は掛川の十九首塚にも参拝に行ってみては
如何でしょうか。

太古の武蔵野や三遠のアマタリシヒコ王朝と
武蔵野の英雄に連なる歴史に隠された真実を
感じる事が出来るかも知れません。

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