当時の幕府には儒官の職制がなく、
室町幕府以降は学問で仕えるのは
僧侶の職とされていた事から、
羅山は幕府から剃髪を要求され
僧侶として幕府に出仕しました。
同時代の中江藤樹が羅山に対し、
『林氏剃髪受位弁』を記して
儒者として風上にもおけぬと
批判したされていますね。
ただ彼がなぜ羅山を批判したか、
その背景を見れば分かるでしょう。
儒教経典を読んだ人であれば、
孔子が着ているのが儒服かを
弟子から質問された時に、
何と答えたか知ってないと
おかしいはずなのですが、
本当に儒者だったか疑問です。
孔子も現代に生きていたなら、
スーツを着て仕事をするのは
儒教経典を読めば分かりますが、
この批判が後世からは一般論と
捉えられてしまえば問題です。
四書五経を読んだガチ勢には
通じない批判をしたのなら、
公職相手に語ったのではなく
世論形成のための素人騙しで
書かれた可能性がありますね。
柔軟な姿勢を評価しようとすれば
十分に可能な話であるはずが、
ともかく羅山には批判が殺到し、
その背景の勢力地図を見れば
国学派の陰謀であった線が
濃厚になって来そうですね。
ここから羅山は秘書官を超えて、
朝鮮通信使との外交文書作成、
公文書作成、歴史書編纂などの
様々な活躍を繰り広げていきます。
彼がどれだけ幕府内での評価を
獲得したかが分かりますが、
国学派が彼の様々な活動を
都合の悪い物と見ていても、
おかしくはない話でしょう。
羅山は仏教否定派とされていますが、
吉田神道も密教との繋がりが深く、
実際は羅山も密教関係者であって、
後に捏造が行われた可能性について
詳しく調べる人が出ると良いですが、
色々と大変な作業ではありますね。