伊勢の両部神道の破壊

永仁四年(1296)内宮・外宮禰宜が
連署した注進状の先例を破ったのが、
外宮の渡会氏だったとされています。

度会氏は「豊受皇大神宮」と書き記し、
「皇」字を加えた事を内宮が問題視して
両宮双方で争論が起こったとされた時に
渡会氏が歴史的根拠として挙げたのが、
『宝基本記』『倭姫命世記』『御鎮座伝記』
『御鎮座次第記』『御鎮座本紀』とされます。

この論争における外宮側の中心人物が
度会行忠であったとされていますが、
内宮の前に外宮から参拝する主張をした
伊勢神道の五部書とされている物が、
内宮・外宮の関係を壊していますね。

行忠が様々な著作を先述するにあたって
先行する両部神道書を参考にしていた事は、
『中臣祓訓解』『天地霊覚秘書』を継承し、
神宮の最極秘書に『御鎮座本紀』『神皇実録』
『大和葛城宝山記』『大宗秘府』を挙げた
事からも察する事が出来るとされています。

度会行忠以後の伊勢神道を担った家行は、
両部・伊勢神道の教説を類聚・整理して
『類聚神祇本源』を刊行したとされます。

両部神道では内・外宮が表裏一体とされ、
これを破壊したのが後期伊勢神道であれば、
五部書を捏造する事で伊勢本来の姿を隠蔽し
偽の神道を広めた事になりかねませんが、
ここから垂加神道や水戸学に繋がって行き、
現代の我々の認識にすら影響を与えています。

ここで平安中期から鎌倉・南朝にかけての
本来の神道が隠蔽されたのであるとすれば、
小手先の歴史議論をしただけで神道の本質を
探る事は不可能となって来るでしょう。

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