初めにロゴスありき

新約聖書のヨハネによる福音書には
有名な次の一節が記されています。

はじめに言葉ありき。
言葉は神と共にあり、
言葉は神であった。
言葉は神と共にあった。
すべてのものは言葉によって成り、
言葉によらず成ったものは一つもなかった。
言葉のうちに命があり、
命は人を照らす光であった。

この一節はキリスト教徒以外にも
知名度が高いと思いますが、
この訳だとイデア論のようなものか、
言霊のように振動で世界を構築したような
印象を与えますね。

日本語ではこう訳されていますが、
原文でロゴスとされるものが
言葉と訳されています。

エジプトのアレクサンドリアで
ギリシャ語の七十人訳聖書が編纂され
ギリシャ語で記された新約聖書に繋がります。
ヘブライ語の聖書に何と記されているかまで
調べている人は殆どいないでしょう。

ヘブライ語がロゴスと訳されたのではなく、
ギリシャ語のロゴスの意味が理解出来なければ
この一節の解釈を間違える可能性が
あるのではないでしょうか。

ストア派のゼノンやその弟子たちは、
世界は原初の神の顕現から発展したもので、
火の種から普遍的な法である「種子的理法」
(ロゴス・スペルマティコス)が生まれたのと同様、
人間の知性は神の火花から出現したものとし、
『ストア派断片集』には宇宙は知恵に満ちた生きもので、
賢者は自らの魂の最深部に宇宙を動かし支配するロゴスを
所有しているのを発見すると記します。

宇宙を理解し受けいれる事ができるのは
ロゴスに貫かれているからであり、
知恵の実践により人間は神と一体化し、
自らにふさわしい運命を自由に選べるとしますが、
キリスト教的な思想とは随分違いますね。

ヨハネによる福音書に記されたロゴスが
ギリシャ哲学のロゴスをベースとしているなら
解釈は全く違ったものとなる可能性があります。

ヘレニズムには様々な研究があったものの、
アリストテレスの哲学をキリスト教が取り込み
他の様々な哲学は切り捨てられました。

この哲学は儒教の性の概念にも対応し、
儒教の入門書の大学には至知格物がありますが、
古代世界には広く存在した哲学なのでしょう。
徐福がギリシャ哲学を持ち込んだ可能性は
古代日本の精神的な高さや深さも伺わせます。

宇宙と調和した古代哲学は忘れ去られ、
様々な問題が山積みになっていますが、
見直すべき価値はないでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. みずっちゃん より:

    古代にギリシャ的な世界観があった?とは、数日読み進める中、不思議な懐かしさを感じました。ヘレニズム文化には、何かとお世話になっています(美術系です)。離れたくても離れられない、粘着質な縁があるようです。
    哲学的な観点は、残念ながら抜け落ちており‥美術史も怪しいので、古代地中海文明美術史を見直してみたいと思います。

    • Katsuyoshi より:

      ヘレニズムの影響でギリシャ彫刻風の仏像が造られるようになりましたね。
      この周辺の歴史の記述には矛盾が色々とあるので、突き詰めると古代日本とも関わりが出てくるんですが。