雑草食について書いてきましたが、
私が一番始めに食べた雑草は、
カラスノエンドウでした。
公園のベンチで横になっていると
草が触れて気持ちが良かったので、
草を撫でるのが趣味になっていました。
カラスノエンドウを撫でていた時に
ふと思いつきで食べてみる気になり、
食べても良いか聞いてみると
良いと返答してもらった感じがしたので、
玄米と一緒に茹でてお粥にしました。
特別な料理をした訳ではなかったのですが、
内臓にじわーっと滋養が広がる温かい感じが
二~三時間ほど続いていたのを覚えています。
今まで食べた料理で美味しかったものは、
カラスノエンドウ、セリ、スベリヒユと、
自然から採ってきたものが上位に入っています。
食費や健康、食料などの問題への対策以前に、
草木や山川、大地などの自然と
良い関係を作る事ができると、
穴場なりを教えてもらえる感じがします。
生い茂る草も生態系に対して価値があれば
人間の都合のみで良し悪しは語れないので、
人と同じで相手の言い分も聞くと、
植物とも良い関係が作れそうです。
日本にも山の神や水の神が祀られていますが、
農業や建築、国土開発に至るまで、
自然とも対話により現代よりも良い関係を
築く事が出来ていたのでしょう。
儒教経典の『詩経』を紐解けば、
都市開発や農耕で人のみでなく
天地の神々や祖霊、農業に関係ある存在と
どう関わったかを知る事ができますが、
科学的な研究が進む事で、
これらの価値を再認識する事例が
数多く出てくると思っています。
雑草を根っこから抜くと土が固くなるので、
より抜きにくい草が生えてくる事があるそうです。
同じ作物だけ作っていると障害が起こりますが、
雑草は土質にあったものが生えるので、
連作障害に有効とする話を聞いた事があります。
伊勢神宮の式年遷宮では間伐林が使われ、
床屋で髪を切るように林も隙間を開けた方が
下まで光が届いて木の育成にも良いので、
作法を弁えてやる分にはwin-winですね。
全ての植物が有益かどうかは知りませんが、
有益なのに検討せず排除して障害を出すケースは
様々なジャンルで見受けられます。
人間にも色々いるように全ての草と仲良くなれるかは
やってみないと何とも言えないところですが、
草によってはもっと良い関係を作れそうです。
食料自給率の低い日本の現状は危険なもので、
トイレットペーパーの買い占めのように
一気に食べ物が無くなるリスクがありますが、
基礎知識があれば必要以上に悪化させる事なく、
自分だけでなく周辺の人達にも認知させる事で
その人達が助かるというだけでなく、
巻き込まれる危険性も減らせるでしょう。
雑草を処理の迷惑なもとして扱ったり、
有事の際に嫌々食べる代替品のように
他の食事と比べて低く見るのではなく、
友として様々な恩恵に感謝する事ができれば、
有事になっても平静を保てるだけでなく、
日常そのものに豊かさを感じられます。
百姓は一生勉強と言われるそうですが、
それだけ奥が深いと言う事でしょうから、
専業農家になって生計を立てるのでなく
一家分の調達が必要な程度なら、
普段から自然と良い関係を作り、
学びや発見、試行錯誤を楽しみたいですね。
コメント
確かに‥その通りだと思います。
カラスノエンドウと長年、戦ってはきたのですが少し反省しました。雑草に癒されているのを気付かずにいたかもしれません。目線をかえて、常に身近に励ましてくれる存在として見ていこうと思います。
草もそうですが、コロナで除菌も行き過ぎていますね。
有益な菌を殺せば病気にかかりやすくなるので、免疫を上げる方向を考える方が良さそうです。