以前の豊橋は渥美郡と呼ばれていて、
渥美半島を含めた地域を総称していたようです。
渥美や飽海は安曇(あずみ)族の名から来ており、
安曇族は北九州に拠を構えて
海洋交易で栄えていたとされています。
北九州にも悪者でない鬼の祭がありますが、
奥三河の花祭と同系の祭とされ、
両者は安曇族の祭であったようです。
北九州に邪馬台国があったとする説がありますが、
邪馬台国が安曇族と関係あるとすると、
邪馬台国の文化や遺跡が複数の地域でみられても
全く問題がない事になります。
渥美半島のみでなく長野の安曇野も
安曇族の北上により名付けられたとされています。
魏志倭人伝には卑弥呼が鬼道を用いたと記されていますが、
国内で動乱が起こり卑弥呼を立てて治めたとされています。
この頃に銅鐸文化が終わり古墳時代に入っています。
花祭については本にまとめておきましたが、
古墳時代の終焉と奥三河で花祭が始められた時期にも
相関があるようです。
邪馬台国祭祀が継続されてきて終焉した時期に
花祭が関係しているとすると、
北九州と三遠に残された鬼の登場する祭は
卑弥呼の用いた鬼道ではないでしょうか。