トコサブと寒川

徐福の東三河渡来を記した『牛久保記』には
トコサブの地名が登場していますが、
土器の出土などから三遠から相模(神奈川)に
移動の痕跡が認められています。

相模には寒川神社が存在しますが、
トコサブとの関係はあるのでしょうか。

寒川神社に参拝に行った時に、
『寒』の意味を聞かせて頂きましたが、
気温やダジャレが寒いと言う意味でなく、
祭祀に関わる意味合いがあったので、
トコサブのイメージが変わったのを覚えています。

寒語る神社への参拝の折には、
寒の意味を聞いてみては如何でしょうか。

この神社には優れた天文技術の痕跡があり、
神社の配置も天体との関わりで決められたようです。

徐福は百工を連れて渡来したので、
トヨタの原点に関わる赤引糸を持ち込み、
古代日本に農業革新をもたらしただけでなく、
銅鐸に関連する技術や音楽理論、
高度な天文知識なども持ち込んだのでしょう。

現代にまで明確に残された痕跡は少ないですが、
アレクサンドリア大図書館のように
徐福王朝で様々な分野の研究が行われていた
可能性はないものでしょうか。

秦の始皇帝から逃れてきたとされる徐福ですが、
秦ではアレクサンドリアの大図書館と同様、
焚書で膨大な書物が焼かれています。

儒教を学んで成果を上げた日本人は
二宮尊徳、上杉鷹山、渋沢栄一など、
数え上げればキリがないですが、
徐福が持ち込んだのが儒教以外にもあれば、
どのレベルの王朝が存在したのでしょうか。

この文明を成立させるために
『寒』が重視されていたとすれば、
知識や技術以上に精神の問題が
重視されていたのでしょう。

神道では禊を重視しますが、
歪みのない高度な文明を築くための基礎は
魂を磨く事にあるのでしょうか。

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