植物と儀式

キリスト教は異端審問で魔女狩りを行いましたが、
魔女は植物を使い秘薬を作ると信じられていたので、
魔女と共に、にんにく、パセリ、フェンネルに至るまで
裁判にかけると言う離れ技が行われたそうです。

植物を対象とするのはナンセンスな気もしますが、
ネイティブ・アメリカンを始めとした
世界各地の様々な先住民の間では
植物は神聖なものと見なされており、
部族の儀式でシャーマンに使われる植物もあります。

古代の日本でも大麻は特別な扱いがなされ、
大麻を祀る神社も存在していますが、
特定の植物を神聖なものとして儀式で使うのは、
幻覚作用のみで片付けられないものがありそうです。

仏教でもお香を仏様の食事として焚きますが、
儒教でも植物を儀礼で使うケースがあった事は、
『詩経』に記された複数の詩から分かります。

植物がここまで低く見られるようになったのは、
アリストテレスの哲学がキリスト教に取り込まれ、
真理として絶対視されてきた事にも原因があります。

アリストテレスは見えないイデアを否定し、
見えるものの観察により真理を探求しようとしましたが、
プラトンが密儀に関わっていた事は有名ではありません。

仏教にも顕教と密教がありますが、
密教の実践により書を記した空海のように、
イデア論は頭の中でのみ考えられた思想では
なかった可能性があるようです。

プラトンの『国家』に記されたイデアの説明で
洞窟に繋がれた民の例えが出てきますが、
洞窟から出られたら解脱なので、
仏教とプラトン哲学が触れれば議論は必定でしょう。

植物を神聖なものとする古代の思想が
シャーマニズムに必須のものであったとすれば、
植物は豊かな精神文化を担うものだったのでしょう。

ヨガの達人は脳内麻薬を自分で大量に出せるので、
麻薬を射たれても依存する事はないそうです。

実社会からの逃避のために薬や酒を用いると、
依存しないとやっていけなくなる危険が高いですが、
遥かに高い目的のために植物が使われていたなら、
現代の扱いは余りにも酷いものになっていますね。

逃避のために外部に依存するために何かを飲むなら
ランナーズハイまで体を動かした方が良い気がしますが、
体を鍛えるだけでもプロにつかないと危険があるので、
植物も本草に精通せずに中毒で死ぬ人がいた事は
歴史を見れば分かります。

生兵法は怪我の元で良い師匠と思ったら危なかった等、
オススメできるジャンルでないとは思っていますが、
地球そのものが神聖な存在として扱われていたなら、
植物も神聖なものとされても不思議ではありません。

植物を云々と語る以前の問題として、
地球そのものとどう関わるかが重要なのでしょう。
自然界を低く見て搾取対象としてきた時代は
そろそろ終わりを迎えそうですが、
自然とどう関わっていくのが良いのでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする