奥三河の花祭は熊野修験と関わりがあると言われています。
熊野修験は九鬼(くかみ)家と関わりがあり、
九鬼の鬼の字は上の点の無い文字が使われています。
この文字は豊橋の鬼祭でも使われており、
鬼祭の鬼は脛を後ろに跳ね上げT字の撞木を持っていますが、
花祭の鬼も脛を後ろに跳ね上げて舞い、
茂吉鬼が撞木で蜂の巣を叩き落としたりするようです。
兵庫県の高御座神宮の神主は九鬼と関係があり、
この山では古代に皇位継承の秘技が行われて、
鬼門八神・宇志採羅根神(うしとらこんじん)を祀っています。
九鬼文書では宇志採羅根神は天地創造の神とされ、
平安時代以降は最悪の祟り神として扱われてきました。
花祭の鬼が九鬼文書にある宇志採羅根神と
関係があるとすれば、
この祭は古代日本の皇位継承にも関わる
国家祭祀を何とか継承しようと
必死の努力が続けられてきたものなのかも知れません。
奥三河では今まで通り村の御神事として
継承があるとなされていくのが良いのかも知れませんが、
本来豊橋公園の遺跡で行われていた祭祀であれば、
霜月に豊橋公園で花祭を行えば、
大勢が来て夜通し騒いでも大丈夫なので、
日本の中心のこの地で一年の幸を祈る
御神事としての祭を行う事で、
日本全体に一年を良いものとする神力が
及ぶのではないでしょうか。
コメント
いよいよ オオモトのしくみが現れますね
艮金神さんをお祀りするのは兵庫ですか
地震でいろいろ壊れてしまっています 人の伝承するはずの過去の記憶が失われてしまっては基礎工事のない建物です 大工のうちに生まれましたが 聖徳太子の神棚でした (月刊ムーで知った…)ウチでは土木は出来ないので基礎の職人にはお金をかけてました
ここは特定の宗教を普及させるブログではないので
歴史的に学術研究として提示していますが、
大本教と九鬼家では意見の相違があったようですね。
安曇族と兵庫との関係は花祭の本に書いておきましたが、
幕末からの神道系の流れと東三河との関係は
一応研究はストックしてあるのですが
中々整理して書き出すまでの余裕がありません。
ことしの大河ですから検証も盛んですね
花祭りで脛をはねあげとは 長脛彦を悼んで?
平安時代の祟り神であった 熊野(いの)九神の艮の金神とは 奈良に置いていかれたから?後鳥羽上皇はなぜ頻繁に通った?
善光寺に物部を悼む?または封印?石碑があったかと思いました どうも釈然としません
滅び行く物部守屋の部下をいよいよ取囲み 痛ましい最後を迎えたその骸を 飼っていた犬が なんびとにも触らせず餓死をもって守りとおした故事には いつ思い返しても心が震えます
安曇野に行かれた由 道祖神の夫婦の手の組合わせが 最近いい加減になって 由来がわからなくなりそうで心配しています
散歩の道すがらの民家の庭に 小さな木製の祠が安置されていますがその後ろ 台の石の上にまあるい自然石が置いてあります 草が伸びそろそろ廃墟となりそうです 残念な事です
文献と照らし合わせ 検証することは人生をかけることになりますが 名を残す事にもなりますね
幕末の兵庫 盲点でした 個人的に佐久間象山は京都で暗殺されてないのでは?と妄想しています 興味が尽きないです☺️
お邪魔しました