武周とクシャーナ朝

武周のコメントを見て唐の歴史を見直すと、
660年の唐の支配地域の地図では、
クシャーナ朝周辺まで広がっていますね。

マウリヤ朝の次にクシャーナ朝が来て、
双方が仏教を保護してがいますが、
クシャーナ朝は1世紀ごろ
バクトリア方面から北インドに入った
イラン系国家とされています。

中央アジアの大月氏国の支配を脱した
同じイラン系民族のクシャーナ族が、
西北インドに侵入し樹立した国家とされますが、
キリスト教やゾロアスター教の影響が見られます。

クシャーナ朝の第3代カニシカ王は仏教に帰依、
ガンダーラ美術の仏像はこの衣から作られます。
ナーガールジュナ(龍樹)が小乗仏教を批判し、
大乗仏教が成立したのもこの頃です。

マトゥラー近郊の遺跡から出土したカニシカ王の像は
中央アジア風の外套を身につけ、ベルトをしめ、
フェルトの長靴を履くという遊牧民の出で立ちをし、
一時期、日本で騎馬民族渡来説が流行りましたが、
この周辺を探ると再解釈が出来そうですね。

大乗が批判したのは説一切有部であり
ゾロアスター教の影響を受けていたとすると、
唐が西方に勢力を拡大する過程において、
クシャーナ朝の一神教勢力が内部に入り込み、
何らかの過程で一時的に国を奪われたのでしょうか。

この流れだと武即天が三つの一神教を保護し、
玄奘三蔵がヘレニズム的な説一切有部を批判する
異部宗輪論を漢訳したのも一連の流れに繋がります。

武即天の弥勒信仰はゾロアスター教化したミトラで、
ネストリウス派キリスト教のキリストなのでしょう。
聖徳太子が馬小屋で生まれ終末預言書の未来記を記したのは、
キリスト教勢力により作られた伝承の気配がしますね。

ヘレニズムはゾロアスター教に敵である
アレクサンダー大王が残した文化であり、
ギリシャ哲学的な仏教はその歴史を抹消され、
古代日本の姿が隠された事に繋がるのでしょうか。

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コメント

  1. 高橋けい子 より:

    最近 石柱の高さが 県をまたいで話題となっています 威信をかけどちらも負けてはいません 歴史談議 ロマンが掻き立てられますね☺️

    国東半島が西日本にあったり
    おおつきインターが中部地方にあったり
    ○○は神州? 神州は新羅?
    うちの近くの神社に
    ○○がここに前線基地を置いたと刻印された石碑があると言うので見に行ったら 半分が平らになってる不思議な石碑でした✨そんなことは書かれてなく誰がウソをついたのでしょう?
    それともとうとう妄想癖が出てきたのかも?

    今 トランプゲームにはまっていて 意識がこちらまで到達出来ません 風の時代になるのだそうです 星の配置まで興味が出て學ぶはめになり とても充実した自粛生活ですが はやく世の中が落ち着き 本物にふれあいたい 行ってみたい所が出来て いろいろワクワクです✨