普遍論争

中世の哲学に普遍論争と呼ばれるものが存在します。

イギリスのカンタベリー大司教であったアンセルムスは
「神」の存在を論理的に証明しようとし、
神を「何よりも大きな存在」として定義しました。
頭の中で何よりも大きな存在をイメージできるので
神は存在するという主張をした事から
スコラ哲学の普遍論争が始まったとされています。

当時の普遍は神と同じ概念とされ、
アダムとイブが知恵の実を食べた原罪も、
人類と言う普遍が存在するかしないかが
人類の罪を背負ったキリストを根拠とした
教義の根幹に関わります。

「私は人間である」と言った時には
人間が「普遍」となりますが、
人間という普遍が実際に存在するか
個人の集まりが人類なのかの議論は、
プラトンとアリストテレスにまで遡ります。

プラトンのイデア論は普遍に対応し、
目に見えないイデアを批判したのが
アリストテレスです。

プラトンのイデア論は天上の存在を認めているので、
キリスト教はプラトン哲学を上手く取り込んで来ましたが、
アリストテレス哲学が流入する事により事態が一変します。

あの世が見たいだけなら死ねば分かるので、
その時の楽しみにしても問題ない気もしますが、
ツケを踏み倒したくて来世を否定したり、
来世の不安に漬け込むなどはそれ以前の問題ですね

アレクサンドリアの大図書館が潰され
多神教的なものが排除された後、
ギリシャ哲学はキリスト教圏に取り込まれ
命脈を保ってきました。

普遍論争の後にデカルトが登場し、
西洋哲学が現代に馴染みのある形になってきます。

近代では心理学者のユングが集合的無意識を提唱し、
「人類」の普遍性に近い要素を見出していますね。

プラトンは哲学も武道と同じく
体系化しても万人が極められるものとは
考えていなかったようです。

イデア論は頭の中でのみ考えられたものでなく、
プラトンはミトラ教のマギと関係を持ち、
密教的なものに関わっていたとする説が存在しています。

密教を学んだのであれば空海が真理を語るように
修行で得た経験がベースになっている事になりますが、
プラトンのイデア論はミトラ神学として
西方ミトラ教の哲学的な部分を受け持ちました。

ミトラはペルシャでゾロアスター教に取り込まれ、
後にユダヤ教を経て仏教では弥勒菩薩とされ、
近年では神道系宗教団体が弥勒を持ち上げています。

ミトラを調べてみると疑問となる部分が出てくるので
良し悪しは簡単に言えない状況にありますが、
アレクサンダー大王はアレクサンドリアの大図書館で
様々な宗教や神話・歴史を総合的に研究させたので、
この辺りも明確にしていたのでしょう。

アレクサンドリアの大図書館が破壊され、
大量の文献が燃やされた事により
物事の根幹が隠されてきたとすれば、
普遍論争も過去に解決済みの問題に
多大な時間を費やしていたのでしょうか。

普遍論争の様な対立は様々なスケールで行われており、
大乗仏教が説一切有部を批判したのも類似した内容で、
この流れは現代日本にまで影響を及ぼしています。

今後の時代はアレクサンダー大王のもたらした
東西融合のヘレニズム文化のように、
外れたピントを根幹から問い直すような
総合的な知的活動が重視されるのでしょうか。

この流れは古代ギリシャを日本に持ち込んだ
日本の東西の中心である三遠の徐福王朝の復興と
密接にリンクしていそうです。
三遠に隠された古代の伊勢や出雲に纏わる聖地は
忘れ去られた日本の根幹でもあります。

米大統領選挙が始まりますが、
結果は世界情勢に大きな影響を及ぼすでしょう。
日本が今後、東西の国々とどう関わるかは、
日本の中心の三遠の復興とも大きく関わるのでしょう。

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