かなりマイナーな伝承ですが、
浜松には坂上田村麻呂の伝承があります。
蝦夷討伐を成功させたとされるこの将軍は、
浜北の古墳群の中で最も高いところに建てられた
田村将軍を祀る神社の御祭神となっています。
浜松一帯を蝦夷征伐を成し遂げた存在を祀る事で、
蝦夷の王朝に睨みを利かせたかったのでしょうか。
東北に蝦夷征伐に行く途上のルートとしては、
浜松を通る可能性は低いとされていますが、
潮満・潮干の珠を使った伝承をはじめとして
中々に人離れした話が幾つか残されており、
興味深いところではあります。
神武東征時に最大の敵とされた蝦夷の頭領である
長髄彦の拠点が三遠に存在した研究については
既に三遠式銅鐸の本に書き終わっていますが、
これらの伝承もその補足としても良さそうです。
神武天皇が長髄彦と戦った時にヤタガラスが降臨し、
まあ色々とあったとされていますが、
一応、この周辺の神話と銅鐸との関係も
本に書き終わってはいます。
本を執筆していると脳疲労が激しいので
夜に目が開けられなくなったりしますが、
ブログに詳しく書くのも億劫になりますね。
コメント
滅ぼされたものの中に 真実がありますけど
みなさんロマンチックな活劇が好きです
ねぶた ねぷた と言われるものが本当は何なのか?
興味深いです
けい子さん始めまして。
ねぷたは色々と聞いた事がありますが、日本古来と思ったものが外来系も多いですね。
古代日本は思われているよりグローバルだったのでしょう。