ミサキと首塚

東京には岬に作られていた古墳が多く、
平将門の首塚も岬の柴崎古墳の上に
祀られてきたものでした。

中沢新一氏の『アースダイバー』を
モグリなので最近やっと読みましたが、
岬についての説明がありました。

江戸で埋め立てられる前の
東京の古墳の特徴は、
岬に作られたものが多い事で、
岬に対して何らかの意味を
持たせていた痕跡が伺われます。

芝増上寺にも大きな古墳がありますが、
芝の半年は「サッ」と呼ばれる
重要な聖地であったそうです。

勉強不足のせいで他の地域における
岬の古墳の情報を知らないので、
ご存知の方はコメント下さい。

物事の境界線をあらわす「サッ」は、
人間的なものと超越したものとが触れ合う
接触点や陥入の場所を示す言葉であり、
ここから「ミサキ」や「サカイ」などに
派生していったそうです。

ミサキでもある半島には、
死の領域に突き出された
アンテナの機能を持つ地形として
古墳が作られたと語っています。

首塚の祟りも将門公とは関係なく、
関東の地霊に失礼をしただけのケースも
結構ありそうな感じがしますね。

干拓で岬でなくなった柴崎の古墳も、
江戸神社や首塚などでその機能は継承され、
東京の重要な要素を担う空間として
大きな働きを続けてきたのでしょう。

さて、東京の中心にあるミサキを
日本三大怨霊の墓として扱うのは
どの様な影響があるのでしょうか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする