点検読書

本を読む本』は読書術の古典的名作で、
今読んでも含蓄の深い内容が記されています。

『How to Read a Book』が原書名で、
本をどう読むかについて書かれた本ですね。
読書の目的に様々ある中でも特に
名書と呼ばれる本に相応しい読み方を
詳しく説明している本になります。

寝るための読書なら理解不能なものを
数分読んで寝れれば成功ですね。
私のような歴史研究であれば、
既存の本に答えが書いてある事は
殆どない状況での追及になります。

1940年に米国で出版された後に、
高校や大学でも使用されるように
なった本とされていますが、
日本では用いられていません。

読書には四つの段階があるとされ、
第一段階は個々の言葉の識別です。
知らない言語の本や専門書を読めないのは
この段階がクリアできていないからですね。

当然、詳しいジャンルの本であれば
深く速く読む事が出来ますが、
そうでないと極端にスピードが落ちます。

この後に点検読書、分析読書に進み、
最も高度な読書法に至るとされていますが、
一気に体得する事は出来ないので、
点検読書について書こうと思います。

高校では最低限「分析読書」を
習得する必要があるとしていますが、
これで言うと日本の教育レベルは
物事の分析すら出来ないレベルですね。

点検読書は図書館で本を借りる時や
書店で本を買うか判断する時に
立ち読み程度で大枠を把握する類いで、
大雑把に把握し更に入念に読むかを
調査する事が必要となります。

1、タイトルやサブタイトル、序文を読んで
  本の主題や目的、取り扱う範囲、本の分類を把握する。

2、本文の前に目次を読んで全体の構造を把握する。

3、索引を調べて題目、範囲、引用文献を調べる。

4、カバーのうたい文句を読んで論点を把握する。

5、全体像が漠然と分かってきたら、
  議論の要と思われる幾つかの章に目を通し、
  章の始めや終わりの要約を良く読む。

6、本全体をところどころ拾い読みし、
  結びの2~3ページの重要な部分を押さえる。

本を買う前は大体このような感じで
ざっくりと下調べをしてから
買うか否かを決めると思います。

いきなり難易度の高い本を読んだり
質の悪い本にあたって挫折するより、
何冊か調査をすれば攻略法も考えられます。
何度も精読すべき本か否かの判断ですら、
始めの段階では分からない事もありますね。

全体像を大雑把に把握した上で
細かいところまで踏み込んでいけば、
一回で理解しようとするよりも
遥かに効果的に理解が出来ます。

この段階はスピードが重要ですが、
一字一句黙読する既存の読み方では
ローギアで最後まで走るようなもので
上空から全体像を把握する形になりません。

声を出すのと同じ速度で読むのではなく、
ページに指をおいて滑らせていき、
目で追いかけていくと速く進めます。

学校の勉強でも出来る人だと
教科書をもらった日にざっくりと目を通し
全体像を把握している人が結構いますが、
下地があれば後は復習なのでやり易いですね。

著者を理解する事も内容の理解に繋がりますが、
本を書く時にもこの周辺の下地は役立ちます。
初心者にはテーマや目次などを練らずに
ジャンル別の書き方を踏まえる事なしに、
いきなり書き始めて挫折するケースが多いですね。

本を書く以前の段階にも関わる読書法なので、
ここを多読で磨いて見識を培っておけば、
人生へのメリットはかなり大きいです。

点検読書では次の質問に答える必要があります。

1、全体として何に関する本か。

2、何がどのように詳しく述べられているか。

3、その本は全体として真実か、あるいはどの部分が真実か。

4、それにはどんな意義があるのか。

新しく読む以前に今まで読んだ本ですら、
これらの問に答えられない事があるので、
何冊か読んだ本でこれらの質問の回答を
書き出してみては如何でしょうか。

頭の中だけで考えているより、
手を使って書き出して見直す事で、
自身の思考も磨く事が出来ます。

本当に熟読すべき本に集中するためにも、
この段階をマスターしておかないと、
出発不況と言われつつ膨大な新刊が出る中、
情報の多さに飲み込まれて流されかねません。

この読書法ですら高校以前の段階ですが、
もっと論文やディベートの授業をしないと
時代の要請には到底追い付きませんね。

他にも様々な読書法が提唱されていますが、
古典は知っておいて損はありません。
この段階をクリアして手応えがあれば、
後の段階は本で読み込んでみて下さい。

私は歴史研究の本を何冊か書いてますが、
読本のみの情報収集に終始する事はなく
実地調査に出向いています。
自身で体験した分野の本を読むと、
知識のみとは違ってきますね。

読書は習慣なので小説であれ何であれ
大量に読んでいれば自然と習熟しますが、
興味を持たせれば自分から読んでいくので
何のための授業か納得させられない教師は
寺子屋の教育水準に遥かに及びません。

知識量のみ多くても意味がないのは
孔子ですら語っているところで、
やる事をしていないのに棚上げして
やっている人のあら探しをするのが
読書の目的ではありません。

言葉が行動を越えない様にすると
孔子の言葉にありますが、
何のためにこの文章を読むのかを
どこまでも掘り下げていくと、
自分の人生に対する哲学にまで至ります。

人としての基幹が確立している人の方が
効果的な読書が出来るようになるのは
感覚的に納得のいく事ではないでしょうか。

アレクサンドリアの大図書館ですら
一冊も読まなければ宝の持ち腐れです。
古の高度な哲学・研究の水準が復興すれば、
私も様々な研究を楽しませてもらえますね。

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