己巳の日の弁財天参拝

己丑の日は弁財天の縁日とされており、
弁財天を祀る豊橋の赤岩寺に行きました。

お堂に大きな弁財天像が祀られており、
余り見かけない姿の弁天様でしたが、
参拝時は神聖な雰囲気というより、
ビリビリした感じがしましたね。

住職さんに歴史を色々と聞きましたが、
私の赤岩=アカイア(ギリシャ)仮説の
裏付けとなる情報はありませんでした。

現在は風化して確認できないまでも
赤い岩は存在していたようなので、
可能性は残るものの微妙なところです。

鬼祭の鬼がアーカーイと叫ぶ事と、
赤岩との関係は結局不明です。

ただイワクラ信仰自体がベースにあり、
古代祭祀の聖地であった事は伺えます。

イワクラの神社は明治維新以降の
神仏分離の対策のために建てられた物で、
赤岩村の氏神である愛石(あたご)権現を
愛石地蔵堂として祀るようになったそうです。

氏神様を祀る神社だとすれば、
このエリアの重要な神なのですが、
愛石でアタゴと読むのは何故でしょう。

愛石山大権現は勝軍地蔵菩薩と呼ばれ、
役小角が大宝年間に白山修験の開祖である
泰澄と共に山城国愛宕山に登った時に、
龍樹菩薩・富楼那尊者・毘沙門天・愛染明王を伴い
大雷鳴と共に現れ天下万民の救済を誓った伝承が
残されているとされています。

役小角は大宝元年一月に大赦があり、
六月七日に入寂したと伝わっていますが、
先住民族サイドで戦った存在であれば
伝承の信憑性にはかなりの疑問が残り、
奥三河に行った可能性も捨てきれません。

役小角と白山が花祭と密接に関わる事は
本に詳しく書いておきましたが、
先住民族祭祀と関係が深そうですね。

境内に薬師如来も祀られていましたが、
徐福が持ち込んだ薬師仏信仰とは関係なく、
江戸時代辺りからのようです。
フェイクもあるので文献を洗いたいのですが、
流石にこの辺りは調査に限界がありそうです。

最後の問題となるのが行基により
七二六年に開基がなされた事ですね。
やはりと言うか壬申の乱の後の話です。

行基菩薩に関しても調査は終えており、
吐き気がする位の情報量なので
纏めるところまでは行っていませんが、
書ける事があるにはあります。

弁財天とは関係ない記事になりましたが、
弁天様についても書ける事は結構あります。

二柱の弁財天についても記事にしようか
考えているところではありますが、
今日参拝した弁財天はどちら側か、
ある程度は推察する事はできますね。

年初めに参拝していなかった周辺の神社も
まわって挨拶してきたのですが、
ストックしてある記事が結構あり、
いずれアップしようと思っていた中に
優先的に上げる必要が出た物があります。

柿本人麻呂を書くと言っておきながら
我ながらアレだと思いますが、
期待している方がいらっしゃれば、
じらしプレイとして楽しんで下さい。

他にも言っておいて出してないものが多く、
一応ストックだけはしてあったり、
データだけ集めて手を着けていないもの等、
かなりゴチャゴチャしています。

どれをアップしようか迷う事もあり、
気力が落ちている時などは
考えるだけでまいる事がありますね。

テーマが飛び飛びになって申し訳ないですが、
金をもらって書いている記事でもないので、
しばらく話題が飛び飛びになりそうです。

他に書きたい事も沢山ありますが、
1日1投稿・1記事ワンテーマにして
読む側のペースに合わせており、
責任がない限りは言った話も遅れ気味で、
見直す必要があるかも知れません。

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