江戸の神道と儒教

江戸時代は儒教のみで運営されたと
考えられているようですが、
林羅山は家康のブレーンとなり
儒教を普及させただけに留まらず、
『神道伝授』『本朝神社考』等の
神道書も書き残しています。

神道・王道・儒道・人道の根本を一とする
理当心地神道(王道神道)を提唱しており、
儒教一色のイメージが間違いなのが
ここから分かるのではないでしょうか。

林羅山は仏教を退けましたが、
彼の排斥したのは大乗仏教であり、
説一切有部とは違う特定の派が
仏教の一言で括られている感があります。

封建主義支配のイデオロギーとして
儒教を強要したとする見方の強い羅山も、
江戸幕府の重要なポストにつくだけあり、
表に出ない情報に精通していた可能性は
多いにあると思っています。

家康と三遠の関係は『家康の暗号』に
詳しく書いておきましたが、
家康は古代王権の存在を知っており、
関係した神社などを優遇しています。

征夷大将軍として関東に出向いた家康は、
本来であれば三遠に幕府を開き、
聖地に祀られた神々からの加護を得て
磐石の体制を敷きたかったのでしょうか。

徐福が孔子の弟子の子孫とされるのも、
徐福王朝に儒教の影響が濃かったからで、
江戸における儒教と神道の優遇も、
古代王権の何らかの情報を得た事により
行われた事なのかも知れません。

江戸幕府の運営は儒教の『五経』が
必須カリキュラムであったので、
これを読めば江戸の政治運営思想が
理解できる部分は大きいのですが、
実際に目を通すとイメージが変わります。

五経を読んでいればありえない
論語の解釈が広まっている背景には
何が存在していたのでしょうか。

明治維新後の神仏分離等の政策で
日光東照宮の仏像が破壊される等、
宗教界も様々な損失を受けましたが、
神儒も分離されたのでしょうか。

後に神道や儒教での教育政策がなされ、
現代に認知されている儒教は
この段階以降に付与された印象で
語られている印象があります。

神道が国家神道として変質したように、
儒教も五経が隠され論語の訳を意訳し、
本来の儒教とは違ったイメージが
流布されたのかも知れません。

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