「ええじゃないか」は海外からも研究され、
カナダの歴史家H・E・ノーマンが1945年に記した
『日本政治の封建的背景』の第一章「末期封建社会」に
「ええじゃないか」という節が設けられています。
後にこの節は若干の補訂が加えられ、
『クリオの顔』(岩波新書)に収められた
「『ええじやないか』考ー封建日本とヨーロッパの舞踏病」
として一般的に認知が広まったそうです。
「ええじゃないか」のような突発的で伝染的な熱狂を
古代ローマの農神祭、ブラジルでのメシア運動、
中世ヨーロッパの舞踏病と比較しつつ、
盲目的な大衆汪乱が幕府を倒したのは偶然であり、
いかなる政治勢力が指導したかで方向づけられるとしました。
明治維新周辺の歴史解釈は非常に難しく、
海外からは倒幕に利用されたと解釈された祭を
地域振興で使う豊橋市も中々のものです。
当時の日本人がそこまで無知蒙昧であったかは
断定しにくいところではありますが、
発祥地ですら認知度が低いものが
海外で研究されていたのは驚きますね。
ロシアでオウム真理教が活動しているからと言って
日本人が狂信的と言われたら否定するでしょうが、
あまり宜しくない日本人像がベースにあるのか、
江戸時代も低く見られている感じがします。
徐福王朝からの流れで解釈しなおせば、
新たな視点が得られるのではないかと思います。
私の研究に触発されて新しい流れが出れば、
現代の卑屈な日本人像を新たにする事も
可能ではないかと考えています。