ええじゃないか研究の流れ

幕末から明治維新に影響を及ぼした
「ええじゃないか」の研究は、
初期においては限定された視野で
語られてきたようです

大平洋戦争後の明治維新の研究で、
ええじゃないかは討伐派が画策し、
下からの革命を混乱させ幕府を麻痺させ
西郷等が混乱の影でクーデター計画を
準備実行したとする説が提唱されます。

ええじゃないかを封建制の矛盾が鬱積して
噴出した行動だと評価する意見も出て、
ネガティブな評価がなされていました。

後に藤谷俊雄氏が伊勢信仰やおかげまいりの
伝統の流れでええじゃないか解釈した
『「おかげまいり」と「ええじゃないか」』
を出版した後に様々な研究が進みます。

佐々木潤之介著の『世直し』で、
幕末の民衆の社会的動向への関心から
世直しとしての価値が提示されます。

後に伊雑宮(御鍬社)の影響など、
広域な影響まで視野に入れられた
研究成果が出てくる事になっています。

西垣晴次氏は常世神や志多羅神事件など、
民衆運動の系譜から「ええじゃないか」を
解釈する視点を提示しました。

おかげまいり等の伝統の流れの研究から、
この流れが政治への不満に根差した
無知蒙昧な民衆の行動と決めつけにくい
事例を見る事ができます。

明和のぬけまいりを禁止した阿波藩主は
文政には大阪で三千石を施工し、
山田では御役人が握り飯や茶、菓子や餅など、
様々な施しをした事が書き残されています。

群山藩や薩摩藩、松坂などでも
様々な好意的な政策が打ち出され、
これに参加しなかった長州藩では
翌年(1831)に大規模な一揆が
起こっています。

『宝暦現来集』にはおかげまいりの
全経費を計算した資料が残され、
総計439.433両3分とされているので、
現在の金に換算すると約四十四億円が
動いた事になります。

この文政おかげまいりを契機として
大本教を始めとした神道系新興宗教が
多数出現する流れとなりましたが、
この社会的背景をどう解釈すれば
妥当と言えるのでしょうか。

初期の説には時代背景もあってか、
江戸の民が無知蒙昧で煽動されやすい
劣った水準であった前提が見えますが、
明治維新で江戸に劣ったレッテルを
貼った影響が大きいように見えます。

初期から大幅にイメージを変化させてきた
「ええじゃないか」研究ですが、
ええじゃないか発祥の東三河に存在した
徐福王朝の影響を考慮に入れた研究は
今まで登場していませんでした。

徐福研究の流れから「ええじゃないか」を
別の角度から解析する事ができましたが、
明治維新周辺の植民地化の流れの中で
様々な文化が落とし込められてきました。

ええじゃないか研究は日本文化の見直しに
密接に関わる要素が存在していますが、
邪馬台国のDNAのなした業である可能性は
十分に提示してきたと思います。

私が書ける事は沢山ありますが、
今までにない視点を提示してきたので、
個人で全てを網羅しようとするより、
新たな研究の流れが出る事の方が
価値が高いと思われます。

明治維新は近代日本の流れを作る
一大テーマとなっているので、
この解釈は現代日本人の在り方に
直結した問題となっています。

これに古代ヤマトの鬼道が関与したなら、
邪馬台国は古代のみでなく現代の話ともなり、
日本人の真価にも関わる問題となります。

現代と言う大きな時代の節目にこそ、
必要な研究となるのではないでしょうか。

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