京都調査

メルマガ読者と京都の調査に行き、
普通では行けない場所まで参拝出来て、
かなり疲れましたが楽しかったです。

とは言っても調査に疲れたのではなく
ほぼ質問攻めに答え続けていたので、
脳疲労が激しかった感じですね、
帰ったら死んだように寝てました。

直接聞きたい事があって参加するなら、
当然と言えば当然の事なのですが、
オフ会的なノリを想像していたので、
オフレコの話が主体になるかと思いきや
歴史の質問がほとんどでした。

やはり歴史関係とオフ会的なものは、
テーマを分けて企画した方が良いですね。
オフ会は個人的な楽しみも込みなので
面白い話ができれば無料でも十分ですが、
歴史関係だと仕事モードになりますね。

何ヵ所かまわり食事をしつつ
色々な話をしてきましたが、
面白いものも見つけてきました。

吉田神社にも調査に行ったのですが、
太源宮は流石に凄かったですね。
明治まで神道界のトップであり、
伊勢神道の流れをくむ吉田神道で
最重視されたのがこの太元宮です。

吉田神道の教義で宇宙軸を現す大元宮は
始まりの神である虚無大元尊神を祀り、
そこから生まれる八百万の神も配祀され、
神道の中心地として君臨してきました。

大元宮は八角形をしていますが、
高御座神宮の鬼門八神、
安曇野の魏石鬼八面大王、
高千穂神楽の鬼八など、
鬼と八は深く関係しています。

飽海神戸神明社の八角儀調場も
吉田神社の太源宮に由来するのか、
ここの地名も吉田ですね。

天狗と戦った鬼が負けて逃げ、
儀調場で天狗が儀式を行う事は、
最高神の座を鬼神から奪い取る
儀礼的な意味がありそうです。

吉田神社にある今宮社の木瓜大明神を
『豊橋三大祭の深層』に書いたのですが、
吉田神道と豊橋は何かと関係します。

虚無大元尊神は外宮の豊受大神なのか、
外宮の神は内宮の食事係とされており、
農業は国の基幹ではあります。

政治・軍事は専門性が非常に高く、
責任が重く命を掛ける必要があるので、
プラントなどは別格として扱っています。

孔子は軍事より農業を重視しますが、
人はいずれ死ぬが民は信なくば立たずと
食料より民の信を勝ち取る事を重くし、
儒教の信は国家祭祀にも関わるので、
食事係とされたのは格下げですね。

鬼の祭をしていた先住民族が
山奥で隠れて鬼道を継承したのが
花祭であったと本に書きましたが、
吉田神道は古代の歴史を知った上で、
鬼道の復興のために八角形の太元宮を
神道最高の位置付けとしたのでしょうか。

であれば吉田神道を研究する事は、
伊勢神道と同様に鬼道を究明するのに
重要な意義がある事になりそうです。

間の抜けた事に吉田神道の創始者を祀る
神龍社をスルーしていましたが、
また参拝に行きたいところです。

伊勢神道は南朝と結び付く事により
室町時代以降に衰退していきますが、
吉田神道が代わりに伊勢を凌駕します。

儒教・仏教・道教などを取り入れ、
密教の修法も行う柔軟さは、
徐福がインドから持ち込んだ
様々な宗教がお互いに磨き会う
アショーカ王の仏教にリンクします。

江戸末期に復古神道が支配する前は
鬼道がこの国の精神的支柱となり、
日本人の気質に多大な影響を発揮し、
海外から称賛された江戸の精神性も、
ここに由来する部分が多そうです。

復古神道も古事記や万葉集などに
根拠を求めている部分があり、
壬申の乱以降に成立した書に
根拠を置いている事を考えると、
B.C.200年頃の徐福王朝より歴史が浅く、
起源に到達していない部分がありそうです。

鬼道の影響が濃く存在していたのに
明治維新近辺で削がれたとすれば、
この周辺の歴史解釈も見直す必要が
多分に存在しるのかも知れませんね。

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