ええじゃないかと羽田文庫

豊橋の「ええじゃないか」を語る上で、
羽田八幡宮の神主・羽田野敬雄氏は、
外す訳にはいかない存在でしょう。

「ええじゃないか」の発端が確認できる
最初の記録とされているものが、
羽田野敬雄の日記であるようです。

「ええじゃないか」を書くために
牟呂八幡宮や羽田八幡宮に
参拝に行って着ましたが、
羽田八幡宮の梅は綺麗ですね、
暫く対話してきました。

羽田野敬雄は幼少期から神童とされ、
古典を研究して自説を執筆すること
数千巻に上ったと言います。

窃盗犯が捕まり罪状を調べられた時、
「西方のある家へ忍びこもうとしたが、
その家では何晩深夜まで読書している子供がおり、
入れなかった。今時実に熱心な子供だ。」
と供述したエピソードが残されています。

羽田野の名前の由来を考えると、
『牛久記』に記された徐福の記述で、
本宮山の麓で秦氏を名乗ったとされた事に
関わっている可能性が高そうです。

羽田野家は代々羽田八幡宮と湊神明社の
神官を務めていた家系であったそうです。

羽田は秦で徐福と共に渡来してきて
優れた文明を持ち込んだ末裔であったのか、
本来は山本姓であったそうなので、
秦氏の末裔と言う事ではありませんが、
彼の功績には目を見張るものがあります。

嘉永元年(1848)佐野権右衛門らと共に
金百八十両で羽田文庫を設立します。

創立当初の蔵書は千部程度であったものの、
吉田藩主、松平信古、水戸斉昭、三条実篤など
大勢から本が寄贈された事により、
慶応三年(1867)には一万三百五十七巻の
蔵書を誇る一大図書館となります。

貧しくて本の読めない人のために
始められたとされる羽田文庫は、
近代的図書館の先駆けとも言われますが、
地元でも名前を知っていれば良い方です。

羽田文庫の跡地を見る事はできますが、
学門の四神への参拝は出来ませんでした。
機会があれば一度は参拝したいものです。

地域プロモーションとして活用すれば
豊橋の知的水準を上げられそうなのに、
非常に勿体ない話だと思います。
優れた歴史が沢山埋もれているなら、
この地にしかない強みに出来ますね。

大図書館と言えばアレクサンドリアに
無理やり結びつけたいところですが、
羽田氏は徐福に由来する秦氏であれば、
何らかのリンクが存在してはいそうです。

面白い事に彼は神代文字にも関わっており、
ええじゃないかの深層には異端扱いされた
古文献に記された歴史の深層との関係が
存在していたのかも知れません。

彼は平田篤胤の国学を学んでおり、
復古神道を語る人達であれば、
彼の存在もピックアップして良いのに
殆ど目にする事はありませんね。

明治維新以降の国家神道における指針は、
幕末の王政復古などの様々な勢力のそれとは
相容れないものとされて抹消された部分が
かなり存在している気配を感じさせます。

伊勢神道と密接に関わりを持つ
幕末から派生した神道系宗教団体は、
大本教がメジャーとなり認知度が高いのに、
こちらの流れは研究が進んでいません。

大本教などに連なる研究をされている方達も、
この流れを研究する価値が高いであろう事は、
朧気ながら理解できるのではないでしょうか。

邪馬台国の太古の歴史のみでなく、
明治以降の日本の思想史を研究する上でも、
三遠は外せないものがありそうです。

都合の悪いデータや根拠をスルーして
お手軽に教祖になれる様なアプローチでなく、
学術的な基礎を踏まえた上に動きを出すため
基礎研究として情報提供していますが、
学術のみでなく特に宗教領域において、
正式なディベートが普及して欲しいですね。

神社で神懸かって真理を語りだして
それぞれの主張が違いケンカをする等、
なぜか結構話を聞く事があるのですが、
地域振興のために情報を流しても、
神社側に迷惑をかけたら意味がありません。

そろそろ時代の節目として温故知新が重要で、
未処理の問題で同じ痛手を被るような事は
歴史を学ぶ事により対処できますが、
明治維新近辺にも古代ヤマトが影響しています。

日本史は時代の節目にヤマトの影響が見えますが、
現代においても重要なファクターなのでしょう。





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