五部書説弁

伊勢神道の神道五部書が偽書であると、
江戸中期の神道家である吉見幸和氏が
『五部書説弁』を著したとされています。

この書を著した三年後の元文四年(1739)に
吉見神道を批判する『増益弁卜抄俗解』を著し、
伊勢の神官から神敵として扱われ
末代までの怨敵とされた吉田神道から、
伊勢の内宮を最高位に復権さようとします。

寛保二年(1742)に五部書説弁を内宮に奉納、
『日本書紀』を神道全体の根拠であるとし、
『神代正義』『神代尚絅』を著したそうです。

これは形を変えた内宮と外宮の戦いで、
一口に神道と言っても伊勢が最高位で
外宮と内宮を参拝すれば良しとする認識とは
かなり違う事が分かるのではないでしょうか。

神道五部書が偽書であるのならば
日本書記も同様に偽書であるので、
相手の粗捜しをして全否定をしつつ、
自分の主張には一つも問題がないと
強引な主張を通すのは難しいでしょう。

私も伊勢神道を鬼道に根拠を置くものとし
日本書紀の捏造部分を指摘しているので、
彼には目の敵にされそうではありますが、
捏造とされた根拠は調べる必要があるので
図書館で検索しましたが地元には無いですね。

近代デジタルコレクションにはあるものの
国会図書館内でしか見れない状態なので、
研究にも相応のコストがかかります。

表面的にかじって煽っておきながら、
後で間違いが発覚したら誤魔化すなどの
無責任な運営をする訳にもいかないので、
確り対応しているつもりではありますが、
リソースの投下をどこまでやるかは
線引きが難しいところではありますね。

不必要に金をかける必要ばないものの、
ネットや図書館で1日かけて調べれば
明確になる程度の事すらやっていない
無責任な実地事例を多く見ています。

基礎研究は即座に金にならないからと
都合の悪い事を押し付けて美味い所取りは
様々なジャンルで良く見られるもので、
長期投資である人材育成すら軽くみる事も
かなり多くはなっていますね。

真価が問われるジャンルで誤魔化せば、
底が見透かされて短期で終わりそうなので、
人に説教する以前に規範を示す必要があり、
苦労しつつもやってきてはいます。

私ですらこの程度はやっているので、
プロであればこの程度の水準のクリアは
当たり前にやっていて欲しいところで、
小手先ではなく姿勢で勝負して頂きたいと
常々感じているところです。

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