日ユ同祖論の問題点

コメントで本のレビューを依頼され、
日本にユダヤ教の流れがあるとする本の
記事自体は既に書き終えていたのですが、
「ええじゃないか」が一段落したので、
色々と書いていこうと思っています。

郷土史を研究していく過程で
様々な文献に目を通しているので、
日ユ同祖論も一応は知っています。

実地で得られた物証を解明するのに
日ユ同祖論では説明できないものがあり、
既存の文献にも見当たらないので
自分なりに研究を進めていますが、
この論には幾つか問題があると思っています。

ここで全てを書く事は出来ませんが、
まず挙げられるのがゾロアスター教の影響で、
ペルシャによりバビロニア捕囚から解放され、
ペルシャの国教であるゾロアスター教と
密接な関係を持った事には触れられていません。

第三神殿、死海文書、キリストの死など、
一神教関係で話題となっているものは
ほぼバビロニア捕囚解放後の話で、
ゾロアスター教の影響下にあります。

日本で景教(ネストリウス派キリスト教)が
幅をきかせたのは壬申の乱の後ですが、
武即天が景教と共にゾロアスター教と
マニ教を保護している事は記録にあり、
共通するものとして捉えていたのでしょう。

終末論や救世主信仰などを始めとした
ゾロアスター教と関係した背景を探ると、
様々な事が分かってくると考えています。

日ユ同祖論は南朝側の一方的な主張であり、
北朝は異教の神々を信仰して堕落したのは
モーセ五書における記述が元とされます。

バビロニア捕囚から解放されたユダヤ人は
イスラエルに帰還していますが、
神殿跡からモーセ五書を発見したとされ、
この書がゾロアスター教の影響を請けて
成立した可能性を示唆していそうです。

ゾロアスター教はそれまでの神々を
悪として神話に取り込んでいますが、
ユダヤ教で悪魔とされた存在達も、
似たようなものであったのでしょうか。

北朝側からすれば危険な宗教にかぶれて
自分を正当化して他を武力と謀略で支配し、
自然を所有物のように破壊する権限を
神から与えられたと奢った者達から、
悪者扱いされたと主張するかも知れません。

北朝側の一方的な主張のみを聞くだけで、
良し悪しをジャッジ出来るのでしょうか。

日本には北朝イスラエルの痕跡が残り、
北朝の信仰を垣間見る事が出来ます。

日ユ同祖論における最終的な主張が
キリスト教を信仰すべきとするのなら、
キリスト教を信じるべきか否かが
中核的な問題となります。

ユダヤ人はキリストを救世主とせず、
イスラム教でも預言者の一人として扱い、
キリスト教内でも様々に分派しています。

一神教内の派閥間の相違のみに止まらず、
他国の支配にすら宗教が来た利用されて来ました。

様々な問題を棚上げして歴史情報のみで
手放しで盲信するのは問題がありますが、
日本では政治・スポーツ・宗教の話題が
トラブルになるとしてタブー視されており、
ディベートの授業が無いのが痛いところです。

日ユ同祖論を主張するのであれば、
様々な宗教に精通した上で、
キリスト教を良いものであると
本人が納得した上ででないと、
無責任な勧誘と同じになりかねません。

私がアレクサンドリア大図書館を推すのは、
総合的で多角的な宗教や歴史の研究の上で
本人が深く理解した上での行動と、
偏った文献の聞きかじり程度では、
大きく差が出る部分があるからです。

以前、エルサレムに行く用事があった時、
ホスピスで一緒の部屋に泊まった人と、
色々と話をした事がありました。

彼はキリスト教圏に生まれつき、
日本で観光業の仕事をしてるそうで、
エルサレムは確かに聖地だが、
一神教は余りにも殺しすぎるので、
様々な宗教を見て自分に合うものを
ピックアップすると言っていました。

自分の信じているものが優れていると
信じたいと思うのが人情でしょうが、
問題を見てみぬ振りで誤魔化せば、
魔女狩りや異端審問などの悪魔的所業に
発展しないとも限りません。

武術を極めたと思っても世の中は広く、
流派こそ違えど上には上のいる世界なので、
慢心は未熟な段階なのでしょう。

以前、伝道され出向いて話をしたら
他の宗教の批判ばかりしていたので、
素晴らしさを伝えるなら良いとしても、
他を批判するなら読んでからでないと、
自分が逆なら嫌ではないかと話しました。

結局は出禁を食らいそこにいた若い人に
今見た事は口外するなと言っていましたが、
十分に検討して納得した上ででないと、
信じる事に危惧があるのではないでしょうか。

今までの数百年は一神教が世界を席巻し、
同時に植民地拡大、世界大戦、環境破壊、
貧富の格差による飢餓や人口爆発等の
様々な問題が噴出してきました。

明治維新以降に日本もこの流れに乗り、
他で飢えようが後の世代にツケが行こうが
贅沢を辞めずに責任を踏み倒す悪癖が、
未だに継続してきています。

これらの問題を歴史の根幹から見直し、
今後どのような文明を構築していくかは、
今という時代を生きる人の責任であり、
どの様な姿勢でアプローチするかが
非常に重要な課題となってきます。

無宗教も信仰の一形態でしかないので、
無条件に他と比較して優れているとは
断定出来ない問題がありますが、
死んだら終わりで逃げ切れれば良いと
無責任な事をするのも頂けません。

枝葉の情報より根幹的な問題に取り組み、
小手先ではない姿勢を正した対応をする事が
この分野に不足していると思っているのは、
自分だけなのでしょうか。

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