二つの強さ

儒教経典の『中庸』の中には、
孔子が弟子に強さについて質問され、
お前の言う強さとは北方の強さか
南方の強さかと聞き返す話があります。

孔子は相手を打ち負かす強さ以外に
筋を通す強さがある事を伝えており、
自らのなす事を責任をもって
最後まで成し遂げられる人は、
強者と言っても良いのでしょう。

強さの定義も人により色々あるので、
良い議論は定義を明確化する必要があり、
前提が不明瞭だと支障が起きる事は
様々なジャンルで良くある事ですね。

議論の仕方も二系統はありそうですが、
自説を絶対視して別の説を打ち負かし、
手段を選ばず勝つ事により優越感に浸り、
自らの非は絶対に認めない等は、
前者の強さを求めているのでしょう。

正式なディベートは礼儀が前提で、
コインを投げた結果によって
肯定・否定のどちらも行う必要があり、
型稽古のようにお互い磨きあい、
両面から総合的に検討していきます。

この二つの強さはこれ以外にも
経営や政治など様々な分野に通用し、
イギリス主導の今日までの世界情勢は、
前者の強さを追及してきたのでしょう。

この強さを求め続けて来た結果が
人口爆発や自然環境の破壊なら、
求めるものを間違えたのでしょうか。

前者には一神教的な雰囲気が感じられ、
後者はヘレニズム的な多様性があります。

寺子屋教育は後者を追及してきましたが、
現代教育の基準が前者に置かれているなら、
根本から見直すべきではないでしょうか。

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