宝亀二年(772)藤原浜成著の『歌経標識』では、
柿本人麻呂を柿本若子と記しています。
若子はヨリマシとしての神子の意味で、
神降ろしで神霊の懸かるヨリシロの小童を
ヨリマシと言ったとされているので、
ミューズの女神を懸け神話をうたう様な
人麻呂の姿が想像されますね。
これだけだと神懸かりしているだけなので、
そこまで突拍子もない存在ではありませんが、
人麻呂の得意性はこれだけに止まりません。
柿本人麻呂は死んだ後に住吉神の化身の老翁として
示現したとする伝承が残されている様ですが、
人麻呂を通常の人としない記述は複数見えます。
人麻呂には七代の天皇に仕えた伝承があり、
役職を個人名で読んだのか神仙とされたのか、
竹内宿禰に近いような記述がなされますが、
一般的な認識では解釈出来ない存在のようです。
『丹後国風土記』逸文にある浦島伝説は
浦島子を日下部首の子孫としますが、
日下部首は人麻呂の妻の依羅氏と同族で、
依羅氏は住吉大社の祭祀氏族でもあります。
日下部氏は東三河の一宮である砥鹿神社に関わり、
この氏族の擬人化したものが草壁皇子であったと、
『豊橋三大祭の深層』に書いた事があります。
人麻呂が先住民族の古代祭祀に関係し、
古事記の成立にも関与した特殊な存在なら、
徐福の目指した神山に住まう仙人とも
関係のある存在と見る事も出来そうです。
壬申の乱で先住民族を追いやった後に、
景教(ネストリウス派キリスト教)徒が
旧約聖書に先住民族の神話を被せた物が
古事記ではないかとする仮説を立てています。
神典として古事記が重視されていますが、
先住民族の神話に大きなウエートを置く
鬼道に連なる書であったとすれば、
謎を解く鍵の一つが人麻呂なのでしょうか。