伊勢神道と猿田彦

伊勢神道の猿田彦(興玉神)の説明は、
「伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記」にあります。

吾は天下の土君なり。よって国底立神と名づく。
時に応じ機にしたがひて化生出現しつれば気神と名づく。
又、根国底国より荒び疏び来たらんものに
相したがひ守れるゆえに鬼神と名づく。
又、人のために寿福を授けるゆえに太田神と名づく。
よく人の魂魄をうつすゆえに興玉神と名づく。
ことごとく自然の名なり。

伊勢神道で興玉神が重要な神とされた事を
ここに見る事が出来るでしょう。

伊勢神道は先住民族祭祀に通じており、
猿田彦がヤマトで重要な神とされた事が
ここから推察出来ると思います。

お伊勢参りを興玉からとするキャッチも、
内宮の前に外宮から先に参拝を行うとする
外宮の渡会氏が提唱した伊勢神道との
関係を感じさせるものがありますね。

当然の如く渡会氏と来れば花祭と関わり、
榊鬼と問答する神主が渡会氏なので、
先住民族祭祀の鬼道と関係しています。

2019 榊の問答

猿田彦が先住民族の太陽神であれば、
日光の猿丸大夫伝承とリンクしても、
問題はなさそうな感じですね。

人麻呂と古代の太陽神との関わりは
彼の歌から推察できるものもありますが、
彼が鎮魂に関わっていたとするなら、
神仙伝承と絡められた事にも、
相応の理由を見出だす事ができそうです。

徐福が不老不死の薬を仙人からもらいに
秦から旅立った伝説が残されていますが、
この国が神仙の国とされていた事が
人麻呂伝承に密接に関わっていそうです。

人麻呂と徐福の目指した東海の三神山との関係は、
またの機会に探っていく事にしましょう。

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