後醍醐天皇と伏見稲荷

延元元年(1336年)十月の夜、
足利直義により花山院に幽閉され、
花山院を抜け出した後醍醐天皇は、
暗闇の中、伏見稲荷神社まで来ると、
神前で歌を奉納し稲荷大神に祈願します。

ぬばたまの くらきやみ路に まよふなり
われにかさなむ 三つのともし火

山上より現れた赤いむら雲が
後醍醐天皇の行く手を照らし出し、
大和の内山に到着したとする伝承が、
南朝と稲荷の関係の根拠とされます。

伏見稲荷本殿裏の千本鳥居を進んだ所の
奥社奉拝所に大きな石碑があり、
後醍醐天皇が詠んだ歌が刻まれてますが、
石碑の建立は明治二十五年(1892)とされ、
ここに来たのかは微妙なところがありますね。

私も遠征から帰る途中に伏見稲荷があり、
夜明け前に上った事があるのですが、
山頂に雷がうごめき何かを感じました。

足元が見えない中で歩いていましたが、
危ないと言う声がどこからともなく聞こえ、
水中に足を落としかねないギリギリで
回避する事が出来た覚えがあります。

後醍醐天皇の伝承はいかにも作り物で、
実際のところは定かではありませんが、
南朝で稲荷信仰が重視された事は確かです。

東三河にある稲荷神社の多くが
南朝と関係付けられているのですが、
豊川稲荷は後の時代とされています。

豊川稲荷の伝承には平八稲荷も関わり、
何かと謎の多いのが稲荷信仰です。
伊勢の外宮の隣にも豊受稲荷があり、
秘められた領域がありそうですね。

南朝と稲荷信仰の関係を掘り下げる事は
本来の在り方を明確にする事に繋がり、
既存のイメージを完全に覆すだけの
歴史の深層を垣間見せる事になるでしょう。

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