三河と足利

愛知県豊川市に勝山城跡が存在します。

元弘三年(1333)の足利尊氏の戦功により
熊谷直鎮が三河国八名郡に所領を賜わり
築城したとされる城跡が残されており、
三河と足利の関係が伺われますね。

宝治元年(1247)の宝治合戦で三浦氏が滅びると、
足利氏は上総・三河の守護職を有する事になり、
幕府内で北条氏に次ぐ地位を手に入れたそうです。

この頃が鎌倉幕府での足利氏の最盛期で、
後に立場を危うくする事件が起きますが、
ここからの足利氏の動向には謎が多く、
詳しく掘り下げる必要があります。

1333年と言えば後醍醐天皇が
建武の新政を始めた年になりますが、
この時点で三河は足利に押さえられ、
東三河は後醍醐天皇よりも
足利の力が強かったのでしょうか。

東三河の南朝の痕跡を探っていくと、
この時点で三河は足利の勢力下でなく、
後に侵略して築城された可能性が
浮上してくる事になるのですが、
実情はかなり深い情報になります。

詳細を調べに行こうと思っていますが、
折角なのでメルマガで募集をかけて
豊川稲荷周辺も一緒に参拝に行って、
どこまで出すか微妙な情報も話して
ワイワイやった方が楽しそうですね。

豊川稲荷オンリーなら公募をかけても
さして問題は無いと思ってはいますが、
実地調査を含めると車での移動があり、
事前の調整が必要になります。

遠方から参拝に行くだけの価値が
豊川稲荷にある事は掴んでいますが、
歴史を聞かないと百分の一以下の
価値しか感じられないと思います。

折角遠方から参拝に行くのなら、
他にも色々と回りたいですよね。
世界的聖地なのでコスパは最強です。

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