三河吉野朝

一通り出し尽くした感のある南朝ですが、
ここまでは前振りでしかありません。

南朝の歴史が捏造であったとしても、
本来の南朝の姿がどの様なものかを
明確にする事には不足しています。

私が三遠の価値を叫んだとしても、
どう言った価値があったのかを
不明瞭なままで終わらせれば、
その価値は殆ど認知されずに
終わる事になりかねないでしょう。

であればそこから繋がる流れからも
大した価値が期待できない事になり、
ここまで苦労してやってきた価値も、
大した物ではなくなります。

三遠に存在した南朝の姿は、
どの様なものだったのでしょう。

私はこの王朝の実際の姿は、
古代世界のグローバルな領域と
ダイレクトに結び付いたもので、
日本のみでなく世界の歴史をも
塗り替えるものだと考えています。

と言っておきながらどこまで出すかは、
クリアしていない様々な問題があるので、
ブログ上では微妙な部分がありますが、
一応『東三河の徐福伝承』を読めば、
ある程度は理由が分かると思います。

とは言っても南朝=先住民族復興王権説は
これだけで既存の歴史観とは全く異質の、
ある意味キチガイ染みた説なのですが、
これよりも更に深い話になっていくので、
早急に出しすぎるのも問題があります。

特殊な事を知っても良い動きを出すかは
全く別次元の話ではあるので、
やっている事が無責任であれば
大して意味のない話になりますが、
実地での影響が問題になりますね。

今まで出してきた情報だけで、
日本の歴史を覆すレベルのものは
かなりあったと思ってはいますが、
拡散度合いや実地の動きが弱いなら、
垂れ流ししても意味がありません。

この国のアイデンティティーを基盤とした
祭の保護や地域振興が執筆の目的なので、
これに繋がる形での展開が必要になります。

アイデンティティーが問われる話なら、
個々人の真価が問われる事になるので、
知っていたのに何もしませんでしたでは、
人として終わった事になりかねません。

南朝の研究はある意味リスクの高いもので、
それを踏まえた上で情報を流しているのは
現代が時代の節目だからですね。

ここでの動きをどうするかで大きく変わる
分岐点であるからこその苦労なので、
その部分を考えてみて下さい。

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