後醍醐天皇と修験道

延元二年(1337)に弘真が著したとされる
『金峯山秘伝』下卷の蔵王権現にこうあります。

主上の御修行のおんために蔵王次第、
これを記し進む彼の中、これを記しおわんぬ

主上(後醍醐天皇)の修行のために
蔵王権現法の次第を編募したとしますが、
後醍醐天皇が真言密教だけでなく、
修験にも関わっていた事が分かります。

蔵王権現は日本オリジナルの神であり、
インドにも中国にも経典が存在していません。

役小角が始めたとされる修験道ですが、
この国の守護のために様々な仏を呼び出し、
最後に登場してきた存在とされているので、
ここに謎を解く鍵がありそうです。

役小角は壬申の乱で天武天皇に味方したとされ、
古代ヤマトの鬼道に関わる加茂氏に連なるので、
蔵王権現は先住民族の神を表向き別の形にして
存続させようとした可能性が高そうですね。

修験は盲目的な信仰とは関係なく、
厳しい修行で悟りを目指し神通を得る
武道の師匠につく感覚での信仰なので、
精神論で終わらせるヌルさはありません。

吉野の蔵王山が修験のメッカとされますが、
『東三河の徐福伝承』を読んだ方であれば、
渥美半島の蔵王山がメッカであった可能性は
十分に踏まえておられる事でしょう。

後醍醐天皇は真言密教の修行者とされますが、
真言密教系の修験の修行者であったのでしょう。
そしてこの痕跡はやはり東三河に見られます。

真言密教のみでは理解出来ない天皇の行動も、
修験から見ると理解出来る要素が存在し、
天皇の行った修法はここを掘り下げる事で、
その価値が理解出来るようになるでしょう。

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