神話と『神皇正統記』

『青木文献』には東三河の地における
親房と後村上天皇の話が記されますが、
後醍醐天皇が崩御した時点において、
親房は東北を治めていた事になっており、
ここで『神皇正統記』を書いたとされます。

この書には後醍醐天皇の人事に対して
辛辣な批判が記されていますが、
南朝の重鎮である親房の証言として
後醍醐天皇の政治が程度が低いとする
根拠の一つとされています。

『神皇正統記』を読むと後醍醐天皇は
天皇家の系譜の中に位置付けられており、
根本的な世界観は日本書紀と同じです。

南朝が先住民族復興王朝であるなら、
これらの記述は全て偽りである声を
証明が出来るのかどうかだの、
実際はどうだったかなどの声が
聞こえてきそうではありますね。

当然、これらの疑問を解くために
色々と研究をしてきているので、
それらも出そうとは思っています。

豊川市に長慶天皇に纏わる寺があり、
参拝したら近くに神社があったので、
気になって参拝した事がありますが、
後に北畠親房を祀るとする研究を知り、
何とも言えない感慨を覚えました。

神社の雰囲気から神話体系は
日本書紀とは別物の感じを受け、
南朝が独自の神話体系を持っていた
可能性はあるとは思いますが、
中々に研究が追い付きませんね。

古事記をギリシャ神話+聖書+言霊と
個人的に大雑把に捉えているので、
ギリシャ的な雰囲気の王朝かと思いきや、
それを遥かに越えたものが南朝にあり、
世界クラスのものであった様です。

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