熊野と徐福

熊野三山に南朝の調査に行ったついでに
『東三河の徐福伝承』を寄贈しましたが、
熊野ではヤタガラスを祀るものの、
徐福に関しての伝承は皆無の様でした。

八咫烏を祀るのは熊野のみでなく、
南宮大社でも関係してはいますが、
南宮の御祭神の金山彦を徐福とする説は
私のオリジナルなのかは定かではなく、
余り広まってはいない様ですね

徐福は金山地方出身とされており、
表だって言えない状況下において、
暗号として金山彦とした可能性は
ゼロではないと思っていますが、
これ以外にも根拠はあります。

徐福がギリシャ神話を持ち込んだ説は
今まで色々と書いて来ていますが、
アレクサンダー大王の伝承も
持ち込んでいた可能性があります。

砂漠でさ迷う大王を神の使いの烏が
神殿にまで導いた伝承がありますが、
大王の東征ルートが神武天皇のそれと
共通している事は有名な話です。

ここの周辺には複雑な要素があり、
一章は割いて書く必要がありますが、
詳しくない人に説明するには、
本一冊分の情報が必要になります。

『東三河の徐福伝承』を読めば
ある程度までは理解出来ますが、
これだけでは足りないので、
そこまで掘り下げていない状態で
使えないと言うのであれば、
詳しく書く必要がありますね。

いずれにせよ様々な地域を連結させ
相乗効果を狙っていく戦略であり、
祭や神社の存続、地域文化の継承等は、
局地的では効果が薄いのは確かでしょう。

熊野の方でも徐福との関係を活用し、
他の様々な地域との関係性を用いて、
参拝者が広域で巡礼する形に出来れば、
日本文化の見直しにも価値はあります。

熊野本宮大社ではヤタガラスの舞を
継承しているのを見かけましたが、
花祭もやっても問題ないレベルで
深層で関係しているのであれば、
熊野でも鬼道の復興をなす事は、
面白い試みになると思っています。

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