夜を照らす稲荷

吉野の金峯山寺の足下に、
小さな稲荷社が存在しています。

1333年、後醍醐天皇が夜中に
吉野に逃げる途中に道に迷い、

むば玉の暗き闇路に迷うなり
我にかさなむ三つのともし火

と詠むと一村の紅い雲が現れて、
吉野への臨幸の道を照らして導き、
勧請された稲荷社だそうです。

これは伏見稲荷の伝承に近いですが、
史実ではなく何らかの意味があり、
類似した伝承が残された感を
かなり強く受けますね。

稲荷は稲なので日の光が輝く
農耕的な雰囲気を漂わせますが、
これ以外にも死者や夜に関わり、
夜を照らす灯籠にも関係します。

農業自体が土の中に種を蒔くので、
死者の国である地中と現世の地上の
双方に関わる祭祀とされる事も
ギリシャなどに見られますが、
それと同型の信仰なのでしょうか。

荒侯宏氏は『隠された神サルタヒコ』で、

稲荷は漁師の神でもあった。
小高い丘や岬に火を点し、
燈台の役割を果たすのが稲荷だった。
おそらくは密教と結合した神格であるせいで、
虚空蔵菩薩と同じく
本体は星だと信じられたからである。
キツネ火というのは、星と燈台の火と、
それから稲荷の使いであるキツネとが
混交して生じた現象である。
そしてこのキツネ火は、
夜間の航行や漁の山立ての目印に活用された。
いわば船と漁師の案内火だった。
もちろん、キツネが北斗七星に祈りながら
ー回転すると神通力を得るという俗信も、
星と稲荷の関係を証拠だてている。

と述べているのを読みましたが、
稲荷が星神なのは初耳ですね。

虚空蔵菩薩は空海が真言を唱えて
神通を得た事で有名な菩薩ですが、
明星と関係付けられています。

明星には明けの明星・宵の明星があり、
イエスキリストは明けの明星とされますが、
堕天使ルシファーも明星とされています。

スサノオも日と月の神の中間で
明星の神ともされていますが、
この背景には複雑な歴史があり、
一冊書ける位の情報量があります。

昔は天狗は流星とされており、
天筒花火も流星の名で呼ばれ、
スサノオの御神事であった事は、
『豊橋三大祭の深層』に書きました。

一神教では太陽神のみが重視され、
月神や星神は重視されませんが、
日本神話でも月読命やスサノオは、
どちらかと言うと悪者です。

昼と夜が交互に循環するように、
生と死も輪廻・循環すると言うのは、
死ねば永遠に固定される一神教以外で
割りと普遍的な思想ではありますね。

稲荷も一系統ではないとするのが
私の提示している説ではありますが、
灯台としての稲荷は夜を照らす神で、
一神教の系統の信仰ではないでしょう。

であればこれは後発組の秦氏による
ネストリウス派キリスト教の太陽神でなく、
冥界神に関わる信仰に属するものであり、
イナリの深層を探る上で重要なヒントを
提供しているものでありそうです。

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