火江戸では稲荷は火防の神ともされていた様で、
戸田茂睡の『紫の一本』(1683)巻下には、
下谷が火事になり多くの家が焼けた中、
下谷稲荷の氏子には一人も火が及ばなかったと
稲荷の霊権について書き残しています。
他にも類似した記録は幾つも残されており、
道心者が狐に親切にしていたので、
狐からお礼に庵に火事が及ばないよう
働いてくれた話なども記されている事から、
火事の多い江戸で稲荷社が多い理由の一つに
火防の霊権があった事が推察されますね。
十万庵敬順著『遊歴雑記初編』(1814)の
伝通院の稲荷社の狐である沢蔵司の話では、
伝通院が火災で燃えたので住職が稲荷に怒り、
鎮火しなかったのは恩知らずだと責めると、
沢蔵司が官位を持たず眷族がいないので、
火防のために単身走り回ったが力尽きたと、
夢の中で詫びた話が残されています。
江戸の稲荷信仰は盲目的なものでなく、
あの世の存在との関係性については
現代人の考えより斜め上な感じですね。
狐の世界にも官位があると言うのは
何かと世知辛さを感じさせる話ですが、
神々の世界も人間の官僚機構の様に
組織だって動いているとする考えは、
割と一般的な概念ではあります。
孔子が神に仕えるにはどうすれば良いか
弟子に質問される話は有名ですが、
人にすらマトモに仕えれていないなら、
そちらにも通用しないと言う事でしょう。
稲荷に火防の霊権があるのであれば、
ネット炎上にも効果があるなら
現代でも信仰されそうですが、
炎上した方が認知度は上がりますね。
ダジャレに滑った時の火傷にも
効果があれば良いのですが、
火もないのに火傷するのは
中々に凄い言霊の魔力です。
親切にした狐が火事を防ぐ話などは、
人間以外の種族との関係について
考えさせられる話でありますが、
酷い事をしても色々ありそうです。
野生の猿に餌を与えたら人里に降りてきて
人を襲うようになった等は微妙ですが、
人間が考えているより知性が高く、
もっと良い関係を築けそうな対象は、
案外多いのかも知れませんね。