花祭の神である切目は熊野古道に祀られる
九十九王子(くじゅうくおうじ)の一柱ですが、
九十九王子は主に12世紀から13世紀にかけ、
皇族・貴人の熊野詣に際して先達をつとめた
熊野修験が組織した一群の神社とされます。
九十九王子と言いつつ正確な数でなく
数多い事を比喩して言ったそうですが、
百から一を引くと白になるので
白山と関係があるのではないかと、
花祭の本に書いた事があります。
熊野修験は花祭との関係が深いのですが、
12~13世紀は上皇の熊野詣でが盛んで、
14世紀に入ると南朝が樹立します。
上皇の熊野詣では異常な回数行われ、
この周辺から天皇の即位儀礼で
ダキニが関わる事になってくるのは、
何かと裏を感じさせますね。
上皇の熊野参詣は鎌倉幕府と戦った
後鳥羽上皇も異常な数に上るとされ、
この戦いで幕府が勝利して朝廷を凌ぎ
南朝を樹立した流れを考慮すると、
後醍醐天皇によるダキニ修法の前振りで
熊野が位置付けられている感があります。
南朝と熊野の関係は余り言及されず、
大した事が無かったかの様ですが、
後醍醐天皇と熊野修験に深い関係が
存在していたのは確かでしょう。
南朝が登場するまでの歴史が改竄され、
先住民族復興王朝を御家騒動として
取り込むための捏造がなされたなら、
この周辺にも見直すべきものが
存在していると見ても良さそうです。
実際に発心門王子から熊野古道を
歩いて散策してきたのですが、
色々と発見をしているので、
実地は得られる物が多いですね。
九十九王子も先住民族サイドが
持ち込んだ可能性は高く、
切目王子以外にも先住民族との
様々な関係性を見る事が出来ます。
熊野古道に花祭の関係が見えるなら、
後醍醐天皇も花祭と関係しており、
鬼道の復興を行った可能性は、
かなりの度合いに上るでしょう。