和歌と南朝

熊野三山は和歌山県にありますが、
和歌山が和歌と関係するか調べると、
余り関係していなさそうですね。

古代における和歌は言霊に関係し、
呪術的な意味も含まれますが、
政治にも大きく関わっていました。

南朝天皇が和歌に精通していた事は、
既存の研究でも明らかとなっていますが、
南朝で重視された朱子学においては、
詩経』がこれに通じる経典なので、
この研究をする事で理解が進むでしょう。

詩は五七五の型ではありませんが、
韻を踏んだりと様々な技巧があって
日本語に訳すと味わいが薄れるので、
それぞれの言語体系に沿ったものが
要求されて来るのでしょう。

政治と和歌は離れたものでなく、
『春秋左氏伝』には政治の現場で
名言を引用するように詩を詠んで、
説得を進める事例が複数見られます。

詩は言に寺と書きますが仏教と関係なく、
政祭一致の行政機関である寺において
用いられた言葉を意味しているので、
外交・内政のみならず神々への祈祷も
この中に含まれる事になります。

詩の説明をする「大序」にはこうあります。

詩は人心の発露したもの。
人の心に在る志が言に発して詩となる。
心中に感情が動けば自ずから言にあらわれる。
言にあらわしただけでは足らず、
そこで之を嗟嘆し、嗟嘆しても足らず、
更に永く声を引いて歌う。
歌っても尚足らず、
遂に覚えず手で舞い足で踏むに至る。
情が声に発し、その声が高下清濁交り文を成したもの、
これを音という。
なれば治世の音が安楽なのはその政が順であるが故であり、
乱世の音に怨怒の色があるのは、その政が道に背くからであり、
亡国の音が哀しく思い多いのは民が困しむからである。
故に政治の得失を正し、
天地鬼神を感動させるのに詩にまさるものはない。
先王はこの詩によって、夫婦を正し、孝敬を成し、
人倫を厚くし、教化を美に風俗を善に向わしめた。

と誠の言葉が及ぼす影響のついて
儒教が語っている事を考慮すると、
詩経が古代ヤマトの言霊思想に
影響していた可能性は高いでしょう。

原文ではここから詩の六義の説明に入りますが、
長くなるので興味のある方はに当たって下さい。
伊勢でも雅楽が継承されて来ていますが、
詩経と深い関係がある事が理解できます。

明治頃までは日本人も漢文のまま読み
原文のままで理解していたようですが、
儒教経典の翻訳は元義から外れた物も多く、
オススメできる本はそれ程多くありません。

後醍醐天皇が朱子学を重視したとしつつ
四書五経に目を通さず語っているとすれば、
彼の思想を理解する事は不可能に近く、
聞きかじりや推察で悪く言うのは失礼であり、
南朝の研究をするなら多大な影響を及ぼした
儒教経典を読んでおくのは必須ですね。

この理解の度合いによって日本史の見解が
ガタガタと崩れる部分が多くある上に、
現代日本の複数の問題の根底にある認識から
見直しがなされる事に繋がっていきます。

孔子は詩経について邪な思いが無いと語り、
論語でも言葉が行いを越えない等の
言葉についての言及を数多くなしており、
言霊について余り語られない観点を
数多く伝えているのは研究に値します。

江戸時代までは神道と儒教はほぼイコールで、
徐福の時代からこの傾向が継続していたと
見ても良いのではないかと考えていますが、
政治家が詩を詠んで心を動かす姿は、
失われた美学を感じさせますね。


言霊の幸ふ国と呼ばれたこの国の在り方に
詩経の影響が皆無でないのであれば、
神道関係者も詩経を読み解く事により、
新たな言霊解釈が得られるかも知れません。

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