神道の神祭

日本における神祭の考え方を探ると、
時代による変化があるのは勿論ですが、
現代の認識とは違う思想の痕跡を
見つける事が出来ます。

徐福が孔子の全経典を持ち込んだ事は
『神皇正統記』にも書かれており、
紀元前200年頃から孔子の影響が
神祭にも関与していた事が分かります。

『春秋左氏伝』には国家祭祀について
議論している部分が複数あるので、
原文にあたる事でイメージではなく、
具体的な思想が把握出来ます。

臣聞、小之能敵矢也、小道大淫。
所謂道、忠於民而信於神也。
上思利民、忠也。祝史正辭、信也。
今、民餒而君逞欲、祝史矯擧以祭。
臣不知其可也。
公曰、吾牲牷肥腯、粢盛豐備。何則不信。
對曰、夫民、神之主也。
是以、聖王先成民、而後致力於神。

私は、小国が大国に敵対できるのは、
小国に道あり大国に淫祀ある故と聞きます。
所謂道とは民に真心、神に信を通す事。
上が民を利するのが真心であり、
神官が正しく語るのが信です。
今や民は飢えつつ君は欲逞しく、
神官は祭で神を偽っております。
これで楚を伐てるとは思われません。
公は供物は十分で何が不信かと言うと、
そもそも民あっての神であり、
聖王は先に民の事を成した後に
神の祭に尽力します、と言った。

臣閒乏。鬼神非人實親。惟徳是依。
故周書曰、皇天無親。惟德是輔。
又曰、黍稷非馨。明德惟馨。
又曰、民不易物。惟德繋物。
如是、則非德民不和、神不享矣、
神所馮依、將在德矣。

わたしは次のように聞いております。
鬼神は人に親まず、ただ有徳の者に依る、と。
故に周書に天神親しまず、ただ有徳者を助けるとあり、
また供物でなく、輝ける徳が芳ばしいと言い、
また民は物を変えず、ただ徳が物を繁栄させると言い、
かくの如く徳にあらずば民は不和で神は受け給わず、
神が憑かるのはまさに徳にあるのです。

これらを見るにつけ古代の神祭は
盲目的なものでも御利益の追求でもなく、
現代でも見直す必要を感じさせますね。

ここにある鬼神の解釈には様々ありますが、
鬼を霊とすると有徳者に依ると言う解釈は
高度な霊に限定される働きとしては厳しく、
鬼を神とする鬼道が存在していた可能性が
高いのではないかと考えています。

どうも明治以降に神道から
儒教の影響を排除してきた事から、
徐福から江戸時代にかけての
神道における思想のイメージが
本来のものと掛け離れていますね。

儒教ではメリット・デメリットを精査し
総合的に評価する必要を説いていますが、
儒教がマイナスのものとして扱われ、
中身の精査が十分になされて来ないまま、
雰囲気で神道が語られている感を受けます。

神道で八百万の神と言われるのと同様に、
儒教でも様々な神を祀っているのですが、
神道用語に儒教用語が多用されているのに、
出典を理解しないで使われている状況です。

伊勢の神宮と石清水八幡宮は皇室の祖を祀る
二大宗廟とされるももの宗廟自体が儒教用語で、
根幹から儒教が関わっているのが分かります。

少なくとも徐福以前の紀元前200年以前の
神道の在り方を追及しているのであれば、
儒教を除外しても良いかも知れませんが、
一般的な神道は壬申の乱以降の成立であり、
伊勢の神宮も乱後の建立の可能性が高いです。

熊野でも九鬼氏による鬼神祭祀があったなら、
古代熊野の神祭の思想にこれらの影響が
存在していなかったと言えるでしょうか。

南朝においても儒教を復興させた朱子学が
多大な影響を及ぼしていた事を考えると、
日本の政治・経済・文化・宗教を語る上で、
儒教経典の原文に目を通しておく事は、
最低限の基本となるのは間違いないでしょう。

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