楠木と熊野神

楠木氏は河内国の出身とされますが、
本拠を置いた上地の名前を名字とする
中世の武士の慣例から見ていくと、
河内国の周辺に楠の付く地名はなく、
名前の由来が色々と議論されています。

熊野三所大神社に参拝に寄った時に
楠を見かけて熊野と楠の関係が
気になっていたのですが、
調べると色々と出てきますね。

熊野街道の湯川子安神社境内に、
樹齢千年と推定される大木があり、
説明板に「樟」と書かれており、
「くすのき」と読むそうです。

熊野で楠木に関係しそうな神に、
熊野久須毘(くすび)命がいます。

熊野櫲樟日命、熊野大角命など、
この神には別名が沢山ありますが、
クスビは奇し火、奇し霊とも言われ、
櫲樟日でクシビと読みます。

櫲樟は楠を意味していますが、
楠は古代に渡来した植物で、
船の材料とされていたそうです。

別名の熊野忍蹈(オシホミ)命の蹈は
「踏む」「タタラ」という意味もあり、
製鉄技術に関係していると仮定すると、
金山彦の関係で徐福にも繋がりそうです。

この周辺は『東三河の徐福伝承』で
書き足らなかった部分もあり、
金山彦・金山神社と徐福との関係は、
確りと掘り下げる必要がありますね。

湯川子安神社と言えば熊野以外でも、
徐福に関係した南宮大社に子安神社があり、
深い部分で関係していそうな気配がします。

熊野九十九王子の中でも別格とされた
五体王子のひとつ藤代王子の境内に
楠神社が鎮座していますが、
南方熊楠はこの社から熊・楠の字を
授けてもらったとされています。

大角命と言えば鬼を連想させますね。
花祭の鬼神も熊野修験と関係するので、
歴史の深層を感じさせるに十分な
情報が存在している事は確かです。

熊野は徐福との関係が深いので、
徐福王朝を復興させた南朝において、
楠木は熊野に因んで付けられた
名字であったのでしょうか。

情報量が少ないので断定は出来ませんが、
断定しなければ良いだけであるならば、
ロマンを楽しむのも大人の嗜みでしょう。
更に掘り下げていく流れが出てきたら、
私もそれを見て楽しめますね。

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コメント

  1. 滝原 章宏 より:

    ワールド レポートを土橋重隆先生より教えていただきもう購読10年以上になるかもしれません。インターネット放送局もほとんど聞いております。先生は熊野に行かれたのですね。私は那智に2年勝浦に4年、花の窟のある有馬に4年新宮に3年住み、青春を熊野で過ごしました。今は埼玉県に住んでおりますが、年に2〜3回訪れます。熊野の神々のことは難しくて判りませんが関東に来て初めて熊野に魅力を感じ、熊野関係の本を読み始め、住んでいた時に知らなかったことを、改めて知るようになりました。これからも通い続けるつもりです。竹馬の友もいますので、あいにもゆきます。
    尚、コロナの予防、治療も先生は少しずつワールドレポートに書いておられますね。私は60まで帯津病院で外科医をしており、同時に上海中医薬大学附属竜華医院の邱教授に中医学を教えていただき、現在は非常勤で、帯津三敬病院で漢方外来を担当しております。当院には、ツムラの漢方エキス剤、および生薬による漢方煎じ薬治療をしている珍しい病院です。コロナに関しても中国の武漢の経験の治療薬を使えるようにしています。私は漢方薬がありますからワクチンはしておりません。

    • Katsuyoshi より:

      滝原さん初めまして。
      『平将門の深層』に書いておきましたが、埼玉もかなり凄い場所ですよ。
      自分の住んでいる場所に誇りが持てると今何をすれば良いかも見えて来るので、地元の歴史を知るのは良い事です。
      メディアではワクチン接種以外に選択肢が無いような勢いですが、リスクを考えると複数の選択肢を吟味しないといけませんね。
      漢方薬も草から作りますが、江戸時代と比較して草の価値を殆ど引き出せていないので、もっと自然に親しむ事から見直した方が良いと思っています。