円珍の熊野詣で

鎌倉時代成に記された日本初の
仏教通史とされる『元亨釈書』に、
円珍の熊野参詣が記されています。

珍詣紀州熊野、適風雨晦冥。
迷失路、俄大鳥飛来為前導。
已而至祠、衣上之蓑不遑解、
便講法華、神排殿戸。
自此熊山一乗八講、
雖晴天置蓑講師座下、以為式。

暴風雨で道に迷うと大鳥に導かれ、
祠前で法華を講じると神が現れたので、
熊野の八講では晴天でも蓑を置いて
講師が座るようになったとしますが、
大きい鳥はヤタガラスっぽいですね。

 熊野と言えば神武天皇の東征で、
ヤタガラスは天皇も導いていますが、
神武天皇のモデルとなった一人が、
徐福ではないかと思っています。

徐福はインド経由で西方の文化を持ち込み、
ギリシャ神話も輸入して伝承された物が、
古事記の元ネタとなったのが私の説ですが、
インドの西ではアレクサンダー大王が
アレクサンドリアを作っていました。

大王の東征ルートは神武天皇のそれと同じで、
モーゼのシナイ半島侵攻ルートとも被りますが、
大王の歴史がモーゼ伝承に影響を与えたのか
モーゼ伝承が大王の伝承に影響を与えたのかは、
旧約聖書成立が古いので後者だと思っています。

さて、円珍のヤタガラス伝が、
一神教系のヤタガラスなのか、
アレクサンダー大王を導いた
ヤタガラスであったのかで、
解釈が180度変わってきますね。

円珍は熊野のダキニに関与するので、
このダキニも二系統のどちらかに
密接に関わって来る事になりますが、
白河上皇の熊野参詣から組織化された
熊野信仰の深層にも関わります。

後南朝の最後と絡められた熊野も、
まだまだ深層がありそうです。

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